教師が不登校の生徒に悩んでいるときに読んでほしい本⑧わがままな子どもは、なぜわがままを言うのか?
ではさきほどの話とは反対に、普段から大人にあまり話を聞いてもらえていなかったり、それに近い何かが不足していたりすると、子どもはどのような状態になってしまうのかを考えてみたいと思います。
私は「家で話を聞いてもらえるような安定した関係があるかどうか」という視点で、生徒を見るようになりました。しょっちゅう教師に被害を訴えてくる生徒がいます。その生徒から話を聞くと、大人からすると本当に些細な内容で、他の生徒への指導が必要のないと感じる程度のことだったりします。また、しょっちゅう教師に「それはあきらかにわがままというものだ」と捉えられるような要求をしてくる生徒もいます。
そして、不登校や学校を休みがちになっている子どもの中にも「学校は、ユーチューブが見られないから行きたくない」だとか「ゲームができないから学校に行きたくない」「友だちが、自分の思う通りのことをしてくれないから学校が嫌だ」などというレベルの、「本当に通らないレベルの要求」が通らなかったことをきっかけで不登校になった子どももいます。不登校の子どもと接していて「この子わがままだな。」と感じられた先生方も多いのではないかと思います。
なぜ彼らは、明らかに通らない要求を通そうとするのでしょうか。
例えば生徒が「学校で、お菓子が食べたい。」とか昼間にも関わらず「今すぐ帰ってゲームしたい」「授業中に外に出て遊びたい」というような発言をしたら、あなたはどう思われますか?
子どもが自分の家で「お菓子が食べたい」と親に言うことは何もおかしなことではありません。親に買ってもらってお菓子を食べれば、その欲求は解消されます。他の欲求も家庭内で解消できれば、何ら問題のある発言ではないことが多いです。
しかし、「お菓子が食べたい」などの要求を、その子が学校で教師に行ってしまうと、この矛盾した要求に教師は驚きますよね。このような発言は家庭での消化されていない欲求が、本人の意識で抑制の効かないところまで積み上がってしまった結果、起こる現象ではないかと思われます。
家庭での欲求を学校に求めてしまうのですから、当然矛盾してしまいますし、大概が学校のルールを逸脱するものになってしまいます。このような欲求から来る生徒の要求は、大人である教師からすれば、わがままを感じさせます。わがままは一種の甘えですし、甘えというのはある時期に満たされていくと、やがては解消していくものです。本来は、それが家庭で満たされるはずのものが学校で出てくると、教師にとっては「わがまま」と映り、教師は「わがままを我慢できるようになることが成長だ。」として、「そういうことをしていては、高校で通用しないよ」などと諭したりするわけです。なぜなら、それらの要求の多くはルール違反だからです。
つまりは、家庭で満たされない欲求が学校で出てしまうと、その欲求はかなわないことが多いので学校不適応の原因になることがあるということ。そして、それは実は子どもが「ただ自分の気持ちを聞いて欲しかっただけ。」ということが積み上がってしまったものであるということ。積み上がってしまうと、その欲求は譲りがたく、本人の態度は”かたくな”になっています。それが本人自身の気持ちを守ることにつながっているからです。
今までのベテランの教師たちはルール違反ギリギリか、他の子どもたちに見えないところで、そういった子どもたちの面倒を見てきたのではないでしょうか。家庭の機能を補うことも、私たち教師は私たちが意識する、しないにかかわらず昔からおこなってきたのです。
例えば、日常的に本人の話を聞いて、共感してやること。”生徒の気持ち”を尊重すること。可能な範囲で”思いを叶えてやること”。長い時間をかけて、絡み合った気持ちを整理し整えていくこと、などです。