たまり席【ショートショート】
宵野明美は、ふと思いたって参道寺商店街に行った。昔から存在は知っていたが、実際に行くのは初めてだ。70歳になって、昭和の景色を見たくなったのかもしれない。
地下鉄の駅を降りて、目的地に向かう。途中、古民家や気になる路地を見つけて、明美はときめいた。時間があったら、あとで寄ろう。
商店街は、古いお店と新しくきれいなお店が混在していた。すれ違う人は若者と外国人ばかりで、なんだか観光地にきたみたい。
若返ったテンションのまま歩いた明美は、足の疲れと空腹を感じた。お洒落なお店は気後れがするし…と、キョロキョロしていた。
そのとき、40代くらいの男が、目の前で自転車をとめた。慣れた動作でガラガラと引き戸を開けて、お店に入っていく。よく見ると寿司屋の看板がある。
『ランチ1000円』
予算内だ。
自転車ということは地元の人だな。これは穴場かもしれない。
よし、70代は、タイミングと度胸だ! 入ろう!
ガラガラ…
「いらっしゃい」
もの静かな女将さんの声。たぶん女将。
カウンター席しかなく、間違いなく全員常連。物珍しそうに全員がこっちを見て、すぐ大将のほうへ向き直った。
カウンターの中にいる大将は、角刈りで目つきの鋭いザ・大将だった。ドキドキする。
もしかしてセルフなのかと疑いはじめるくらい時間が過ぎてから、お水を持って来た女将。
「なんにしまひょ」
しまひょ…ときたか。
ランチ1000円に釣られたくせに、ツーっぽく見せたくなってしまった明美。
「お刺身の盛り合わせ、お願いします」
大将が、なんと言ったか聞き取れなかったが、返事らしき声を出した。
出てきたお刺身は、ふつうに美味しい。だが、お会計伝票がない。足りるか。足りなかったら、皿洗いをしていこう。なんてね。
そんなことを考えながら、常連さんの声に耳を傾けてみた。
奥の席におじいさんがいる。90歳くらいか。もしかしたら100歳超えているかもしれない。
「会長」と呼ばれていた。
みなさん敬語で話している。年上だからの敬語でなく、敬っている敬語でなく、恐れ多くも…のほうの敬語だ。
おいおい、入っちゃいけないお店に入ったのか。
会長の隣の男が(自転車の人)大相撲の中継を、ipadで見ている。白熱した音声が、ここまで聞こえてくる。
その自転車男がメモをとっているのが見えた。
書きおわったと同時に、どこかに電話した。相手に繋がったのか、スマホを会長に手渡した。
会長が「天ぷらや」と呟いて、スマホを彼にもどした。
天ぷら? 常連さん向けメニュー?
奥様に「夕食はハンバーグと天ぷら、どっちにしますか?」と聞かれた?
変わった店だ。そろそろ帰ろう。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
いつもの面々が、大相撲の中継を見ている。自転車男が、溜席を凝視する。
「紺色の着物に帯は銀」
「黄色いワンピースにポニーテール」
画面の向こう側、観覧席のだれかの服装を、自転車男がメモして、会長が電話する。
会長が大物投資家だと知ったのは、明美が寿司屋に住み込んで、季節が一周した頃だった。
(了)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?