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手紙 | むかしの先生

興味のあるテーマを選ぶと、それに沿った手紙が届く。

前回は「むかしの映画館」だった。


今回は「むかしの先生」にしてみた。

そして、今日こんな手紙が届いた。





私の名前は、千代です。歳は三十五歳。小学校の先生をしております。


山奥の分教場で生徒二十人、先生は私一人です。旦那さんは中学校の英語の先生をしております。


分教場には、教室と職員室と便所が一つずつあります。一年と二年が一緒に勉強する、いわゆる複式授業で、私もはじめはどうしたらいいか見当がつきませんでした。


一年唱歌、二年国語といった授業が、一つの教室でやれるわけがないからです。結局、唱歌は一年も二年も一緒、二年生がハーモニカを吹いたら一年生は手を叩く、ということになりました。




私が、この分教場へやってきたのは、三年前です。たった一人だから、のんびりできそうですが、そうではありません。


授業の合間には、母親代わりの仕事もあります。医者は町まで行かねばならないから、看護婦の仕事もあります。


放課後には、親たちが漬物など下げて話にきます。
苦労して作った分教場です。親たちにとっては、自分の家と同じ気持ちであることでしょう。野良仕事の手があくとやってきては、植木の手入れをしたり、傷んだところを直して帰っていきます。


PTAの役員会は、月に一回の決まりです。二十人の生徒で、十五人の役員がいます。病気でもしない限り、みんな出席します。


私は一人から聞いた話を、別の人に話しません。だからみんな安心して、何でも話したり、相談したりしてくれます。


ことに年とった人たちは、日頃若いもんには黙っているより仕方がないから、そのはけ口を分教場へ持ってきます。


私はおばあちゃんとこの漬物はよく漬かっているな、などと合いの手を入れながら、ふんふんと話を聞いています。




共稼ぎの辛さは、子どもが学校から帰った時、母親がいてやれないことだといいます。しかし、この辺はみんな農家でみんな働いています。家に帰ったって、親はいないものと、子ども達も慣れています。


遊び相手のいない子は、もう一度、分教場へやってきます。私にお客があったりして相手になってもらえないと、ひとりで運動場の隅で遊んでいます。




うちには四人の子がいます。三人が男です。女の子は学校から帰ると、朝の茶碗を洗い、ご飯を炊き、汁を作って待っています。

余程嬉しい時、余程辛い時、人はひとりになりたがります。


私も時々、子ども達が帰り、親も帰ったあと、ガランとした教室で、いつまでもオルガンをひいていることがあります。


四人の子のうち、女の子だけがじつはよその子です。生まれたところも親もわかりません。


私が分教場へ赴任してすぐ、この子が一年生で入ってきました。いつも先生の目色をうかがって、おどおどした子でした。学校が終わっても帰りたがらず、日が暮れても、いることがありました。


はじめ養護施設から近くの町にもらわれてきましたが、養い親たちが離婚しました。またこのへんにもらわれてきましたが、今度の親は、いろんな事情があって、返したがっていたのです。


私は、児童相談所へ相談にいって、ほんの二、三日のつもりで家に連れてきて、それから三年がたちます。


はじめ旦那さんは、もう三人の子を育てるのが精一杯、この上よその子はごめんだと言いました。


思いきめて町へ連れてゆくと、バスの停留所まで泣いて追っかけてくるんです。そんなことが二度三度繰り返されました。私はどうしてよいかわかりませんでした。
女の子が三年になるとき、うちの姓にしようと旦那さんが言いました。



日曜日には、一家そろって、リヤカーをひっぱって、裏山へたきぎとりにゆきます。
私が車のあとを押しながら、大きな声で歌います。女の子が、すぐこれに続きます。いつのまにか、みんなの合唱になって、空いっぱいにひろがっていきます。


人間らしく暮らしたい、というのが私たち家族の願いです。


この手紙は、未来へ届くと聞きました。

未来の先生たちへ。応援しています。





読んでくださり、ありがとうございます。
この「手紙」シリーズは、雑誌『暮しの手帖』の昔の記事を読んで、記録のために、手紙形式にして書いています。



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きみとめ
お読みくださり、ありがとうございます。いただいたチップで、本を買いたいです。