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【お仕事小説】晴は疑問符抱えてる[5]恋愛、がわかりません

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結婚と幸せは、イコールじゃない。

絶対、イコールじゃない。

と、私は思う。

「晴ちゃん、そろそろ、いい報告は聞けないもんかねぇ」

働き始めてから、おばあちゃんはやたらこう言うようになった。

おばあちゃん家は、実家の近く。近くだから、たまに寄る。

いい報告、とは結婚のことだ。

「部署が変わったんでしょう?前はほとんど女性だったみたいだけど、今は男性もいるんでしょう?」

「いるけど、既婚だね」

部長は既婚。森岡さんと菅沼くんはわからないけど、説明するのもめんどうだから既婚ということにしておこう。

湯呑みの緑茶をズズッと飲みながら、「これ」と、もなかの入ったお皿を晴の方に寄せてくれた。

「紹介してもらえないの?誰か」

「今は仕事に着いていくので精一杯だからさ」

「晴ちゃん」

湯呑みをテーブルに置き、居住まいを正す、おばあちゃん。この流れは…来たな。

「あのね、晴ちゃん」

「うん」

「今の時代は便利だから、1人で十分生きていけるかもしれない。晴ちゃんがそう思うのも自然なことよ。私たちの時代には、医療もこんなに発達していなかったし、気軽に連絡も取り合えなかった」

「うん」

「今は便利な世の中になったと思うわ。だけどね、1人じゃどうにもならないことも、これから出てくるかもしれない」

「うん」

おばあちゃんはときどき、誰のどんな反論も許さない「無敵説諭モード」に入る。こうなったらもう、晴は相槌を打つしかない。

「晴ちゃんを支えてくれるような、いい人がいればいいんだけど」

「うん」

ただ、「無適説諭モード」のいいところは、そのうち必ず終わりがやってくること。いい加減に聞いているわけではないけれど、今の晴にはどうしても響かないことが多くて聞き流す形になってしまっている。

そして終わりは必ずと言っていいほど、「晴ちゃんが結婚するまで、私、死ねないんだから」で締め括られる。

おばあちゃんに死んでほしくないから、結婚しないでおこうかな、なんてことは言えない。でも今日は、フッと疑問がわいてきた。

「うん。あのさ」

モードは解除されたはずだから大丈夫な気がする。

「おばあちゃんは、おじいちゃんと結婚してよかったと、思う?」

「…え?」

そういえば聞いたことなかったなぁ。

無敵説諭モードが終わり、湯水のように湧き出ていたおばあちゃんの声が、ぴたりと止まる。キッチンテーブルから見えるリビングで野球中継を観ているおじいちゃんを横目で見る。

「それは…ねぇ…」

ため息混じりに、言葉を濁す。おじいちゃんは黙っていて、何も言わない。聞こえていると思うんだけど。でも、いつもそうだ。おじいちゃんはおばあちゃんの言うことに全然口出ししない。

「そうだ、晴ちゃん、みかん、持って帰る?たくさん買っちゃったのよ」

「え、あぁ、じゃあ、うん、もらおうかな」

「もなかも、何個かおやつにね」

晴の返事を待つより前に、テーブルの上のもなかを手に取って立ち上がる。

「この袋に入れてあげよう。取手がついてていいのよ。丈夫でねぇ。そういえば、ゼリーもあるわ。ぶどうと、マンゴーと、桃もあるわね。どれがいいかしら?うん、いや、いいわ、おばあちゃんたちいくつか食べたし、全部持って帰っちゃいなさい」

おばあちゃんの口が止まったのはほんの一瞬だった。すぐに、そんな時間なんてなかったかのように、言葉で埋まっていく。

おじいちゃんと結婚して、よかった?

そこは「もちろんよ」って言ってほしかったところなんだけどな。というか、結婚を勧めるからには「よかった」って、言うところでしょうよ。

おばあちゃんが持たせてくれたみかんは、20個あった。

玉入れで入った玉を数えるように、実家のリビングに並べながら数えた。多いな。半分、実家に置いて帰ろう。

おばあちゃんのとこでお茶もらってきた、とは伝えたはずだけど、お母さんはコーヒーを淹れてくれた。

「ミルク、これ。自分でね」

「ありがとう」

「おばあちゃんも、心配なのよ」

「も?」

「お母さんだって、そりゃ、お父さんもね、ちょっとは考えてるんだから。誰かいないのかなぁって」

「誰か誰かって言うけどさ、誰かってさ、誰でもいいの?」

「そんなわけないでしょ。そりゃ、稼ぎがあって、晴のこと考えてくれて、安定した生活が送れる人がいいわね」

「ほら、その誰か、って条件が難しいんじゃん」

「まぁ、こればっかりは焦らせても仕方ないのかもしれないけど。で?ドレスだっけ?クリーニングに出して、靴と一緒に晴のクローゼットにしまってあるはずよ」

今週末、同級生の結婚式がある。

晴の部屋は、2階。

少し急な階段を、手すりを使いながら上がる。

結婚、結婚って、ただ結婚すればいいってわけじゃないのに。

とりあえず結婚したらオッケー。イコール幸せ。みたいに言わないでほしい。

結婚後も生活は続いていくわけで。

その後の生活まで責任をとってくれるわけじゃない。結婚しました、でも失敗しました、ってなったら、悪いのは私になるじゃん。

そもそもですよ。学生までは恋愛は学業の邪魔だ、とか言われてタブーな雰囲気だったのに、いざ社会人になったら「誰かいい人いないの?」っておかしくない?そんな手のひら返しって、ひどくない?

学生時代は「勉強が正義、恋愛は悪」みたいに言われてたのに。

お母さんだって。

高校を卒業してすぐ、私の友達が妊娠した、って言ったら「大丈夫なの?」って眉間に皺を寄せてたじゃん。そのあと結婚して、成人式に子どもを連れてきてたときも「あんな小さい子を」って雰囲気だったよね。

でも今は違う。

「あの子ももう6歳なのね」なんて、いつのまにか微笑ましげに話してる。

どういうことなんだ。

社会人になったら結婚して子どもを生んで育てるんですよ、っていうのがスタンダードなら、学生時代から恋愛を推奨してほしかった。

クローゼットの奥にしまってあったドレスと靴を車に乗せ、アパートに帰宅した。

日曜日。

同級生の結婚式。新郎も新婦も、晴の高校の陸上部仲間だ。

街を見下ろせる丘の上の式場。到着すると、もうすでに何人か合流していた。

「理香子、和泉、久しぶりだね」

「晴!元気だった?」

「ぼちぼちかなぁ」

理香子と和泉も、陸上部の同級生だ。晴たちの代の陸上部女子は、晴を入れて5人。

「佐江、やっと結婚したかーって感じよね」

佐江は、今回の新婦。

「和泉もそう思うよね?長かったよねぇー」

「1番早いと思ってたもん」

待って待って。え、どういうこと?

「麻琴がすぐ子どもできて結婚したもんね。3人目生まれたばかりだから今日は来てないけど」

「結局いつから付き合ってたんだろ?理香子、知ってる?」

「合宿のときじゃない?」

え?え?会話から置いていかれてる。

「どの合宿?」

なんとか会話に食らいつく。

「2年に上がったときの春休み?」

「私それ、学校の勉強合宿とかぶったから行ってないんだよね。行ったのって、佐江と理香子と、晴もいたっけ?」

「いた、と思う」

いたよ、いたいた。でも全然、私、知らない。

披露宴が始まった。

オープニングムービーが流れて、新郎新婦が入場する。

乾杯の挨拶が終わり食事に手をつけ始めたころ、司会の女性がマイクを持って新郎新婦のもとに移動した。

「ここで、新郎新婦の馴れ初めをお聞きしたいと思います!」

スポットライトが、新郎に当たる。

「お2人は高校の同級生、同じ部活で出逢われたということで?」

「はい、そうです。陸上部でした。種目は違ったんですけど、3年間同じ部活仲間でした」

「今日は、そんな高校時代の陸上の監督にお話ししたいことがあるんですよね?」

「はい」

新郎が立ち上がる。司会が新郎の口元にマイクを持っていく。

「監督、すみません!」

新郎が勢いよく90度近くまでお辞儀をする。

「部内恋愛禁止だったんですけど、ずっと、隠してました!」

「バレてたよ!」

新郎側のテーブルから、野太い声が上がる。男子陸上部の同級生や先輩後輩のテーブルだ。披露宴は始まったばかりなのに、もうお酒が進んでいるのか。

「では、ここで監督にお話を伺いたいと思います」

司会の女性が、大股で移動していく。

「陸上部の監督、土浦先生です!」

監督が立ち上がる。

「えぇー、陸上部の元監督、土浦です。本日は、おめでとうございます。先ほどお話がありましたように、2人は高校時代からのお付き合いということで。とにかく、驚きです。結婚の知らせを受けたときは、もう、懐かしくてですね。この代は短距離も長距離も実力派が揃っていて、私としましては、もっと実力を引き出したい一心で、活動に尽力しておりました。確か、インターハイ目前まで行ったと、記憶しております。陸上に集中するために、日ごろから恋愛にうつつを抜かすな、と指導していた時期もありました。いやぁ、まさかこの2人が。とにかく、今日は2人とも、おめでとうございます」

会場が拍手に包まれる。

土浦監督、歳をとったなぁ。当時の鬼監督の面影はほとんどなくなっていた。人って、歳を取ると丸くなるんだろうか。

とはいえ、私にとっては今も鬼監督だ。名前を見るだけで怖い。怖過ぎて車のナンバーだって覚えている。当時、佐江たちのことがもしバレていたらどうなっていたんだろう。

恋愛禁止の中、退部の恐怖に怯えながらもスリルを味わっていたのだろうか。

2人が付き合っていたことを知らないのは、本当に私だけのようだった。付き合った時期が違うとか、本当は三角関係だった、とか、各々で細かい認識のズレはあるようだったけど。

そんなことも知らずに、私はひたすら走っていたのか。

なんだか、悲しい。

でもまぁ、当時いい相手がいたのかというと、そんなこともない。練習についていくのに必死すぎて、そんなことを考える余裕もなかった。

佐江とちゃんと話ができたのは、二次会もいよいよお開き、というところだった。陸上部のメンバーは、ほぼ飲みつぶれていた。

晴は車で来ていたから、お酒は入っていない。

「晴ちゃん、付き合ってたこと、ずっと黙っててごめんね」

「今日初めて知ったからびっくりだよ」

「陸上部、恋愛禁止だったでしょ。だからなるべく目を合わさないようにとか、一緒に帰らないようにとかしてたんだけど。鋭い先輩とか、理香子たちに付き合ってるでしょ、って何度も聞かれてて。付き合ってない、ってずっと言い張ってたんだけど。でも、わかってたみたい。晴からは何も聞かれなかったから、知らないフリしてくれてたのかと思ってた」

「ほんとに知らなかったよ」

そういえば、部活帰り、佐江とは帰る方向が同じだったけど、ときどき塾があるとかで途中で別れたことがあった、気がする。

まぁ、もう、昔のことだし。

佐江が幸せなのは、いいことだ。

「晴ちゃんは、いい人いないの?」

そうだね。

うん、いないの。

月曜日の朝。

出勤したら、会社の玄関であかりとたまたま一緒になった。出社時間が合うことはあまりないのだけれど、たまにはこういうこともある。

「大崎ちゃんって、菅沼くんと付き合ってるの?」

「え?」

そんなわけ。

「なんで?」

「菅沼くんの地元で一緒にいたって聞いたからさ」

なんで知ってるんだ。

「付き合ってないよ」

「そうなの?」

なんだぁ、残念。

そんな表情で、あかりは「じゃあ、またね」とエレベーターに向かって歩いていった。

「おはようございます」

菅沼の方が先にフロアにいた。ねぇ、付き合ってるのか聞かれたんだけど。

「僕もよく聞かれますよ。大崎さんとどうなってんの、って」

「なんでだろう」

「僕の地元に大崎さんが来た、って話は同期とか朝井さんにしました」

それじゃん。

「そりゃ、誤解されるよ。知らずに行ったのは私が悪いのかもしれないけど」

「おはようございまーす」

朝井が出勤してくる。

「どっちかというと、付き合ってそうなのは、朝井さんじゃない?年も近いし」

「何の話ですか?」

「僕と付き合ってそうなのは、大崎さんじゃなくて朝井さんっぽくない?って話です」

「私は彼氏いますもん」

「え、そうなの?」

「言ってませんでしたっけ?」

聞いてないよ。

なんだか、勝手に仲間だと思っていたからダメージが大きい。

頭の中で、おばあちゃんがポッと浮かぶ。

「晴ちゃん、誰かいい人は」

今は、言わないでぇ。

6話(次、終)↓


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