【お仕事小説】晴は疑問符抱えてる[4]ふつう、がわかりません
1話はこちら↓
3話(前回)↓
晴のアパートから、車で片道約1時間半の温泉街。
思い切って、旅行に来ている。
日帰りで。
1人で。
急な思いつきで旅に出られるのは、一人旅の醍醐味の一つだと思う。
ここは、山間の、温泉地。
そこを歩く、スーツ姿の晴。
晴が一人旅に出るときは、いつも仕事服だ。
一人旅の嫌だなと思うところのひとつは「あの人、1人なの?」と周りに思われてしまうこと。
そんなに他人のことを見てはいないと思うけど、なんか、嫌なんだよなぁ。
オシャレ私服だと「え?1人で旅行?」になるけど、スーツだと「仕事感」が出る。そうです、出張で近くまで来たんで寄ってみたんです、仕事がんばってるでしょ、って感じを、誰のためでもなく自分のために出す。だから、スーツ。
それに、プライベート用の服もそんなに持っていない。1週間のほとんどが仕事なわけで、わざわざ少ない休日のためにお金を使うほど服が好きなわけでもないし、そんなお金の余裕もない。カバンや服、装飾品でオシャレを楽しんでいる同僚たちは、本当に自分と同じ給料で働いているのだろうか、と不安になる。
晴がスーツで旅行に行く理由は、まだある。
もし、旅行にオシャレ服を着て行ってしまったら、野外のベンチに座れない。雨ざらしのベンチに座って、オシャレ服を汚したくない。それに、オシャレ服がもしおろしたてだったら、着たはいいけど実は動きにくい、なんてことが起きてしまうかもしれない。
あれこれ考えた結果、着慣れたスーツで過ごした方が気が楽なことに気がついた。
お金も気も遣わない、最高の解決策だと思う。
スーツで温泉街を歩く、大崎晴。
これから行こうとしているのは、ネットで調べて目星をつけていた日本料理屋。安価なわりにどっさり具材が乗った海鮮丼が有名らしく、口コミの評価も高い。
ネットで見た外観と同じ建物が見えてきた。
わくわくする。
すこし早足になる。
あれ。
なんか、おかしい。
人が、並んでない。
電気が、ついてない。
入り口に、何か貼ってある。
「臨時休業 しばらくお休みします」
マジックペンで書かれた、貼り紙。
お休みって、いつまでだろう?今日の朝まで?実はこれから再会です、準備してます、とかじゃない?
じゃない、よね。
海鮮丼、楽しみにして来たのになぁ。
でも、仕方ない。
近くのお店を探そう。
スマホで調べると、この先に、食堂があるらしい。
行ってみよう。
5分ほど歩くと、見えてきた。店の前に、お客さんが数人並んでいる。
よかった、やってる。
店の前の券売機で、先に会計を済ませるスタイルの食堂のようだ。
列の後ろに並んで、待つ。
数分後。
晴は、券売機の前で悩んでいた。
どうしよう?
晴を悩ませているのは、日替わり定食の、ライスのサイズ。
「少なめ」「ふつう」「大盛り」
3種類が並んでいた。
どれだ?
お腹具合は、ペコペコってわけでもないし、いっぱい、ってわけでもない。
「ふつう」って、どれくらいがふつうなんだろう?
ここは頼んでいる人のライスを見て判断したいところだけど、店の外に券売機があるせいで中の様子が全然見えない。
何かヒントになるものはないか。
そういえば、晴より前に並んでいた男性はみんなガタイがよかった。
男性のお客さんが多いということは、「ふつう」って、多めなのかな?
いや、でもここで「少なめ」にして本当に少ししか出てこないのも嫌。
かといって「ふつう」で多すぎて残すのも嫌。
そもそも、ふつうって何だ。何グラムなんだ。人によってふつうの量って違うと思うんだけど。
後ろに人の気配がして、ちらっと振り向く。
晴の後ろには3人、並んでいた。待たせてる。これ以上は、悩めない。
券売機にお金を入れて、晴が「えいっ」と押したボタンは、「レディースセット」だった。
結局、ライスが関係ないメニューに決めた。
「レディースセット」のボタンの下には、小さい字で内容が書かれていた。
そば、天ぷら、いなり、サラダ、杏仁豆腐。
ライスで悩まなくて済む上に、デザートに杏仁豆腐までついてくる。
いいじゃん。
ようやく買えた食券を手に持ち、後ろの人に小さく「すみません」と言いながら店に入る。
「いらっしゃいませ!食券をお持ちでしたら、こちらへどうぞ!」
言われるまま、カウンターの女性に食券を出し、呼び出しの札を受け取る。
「少々お待ちください。お好きな席にどうぞ!」
ぽてぽつ空いている席があったので、席取りには苦労しなかった。
「お待ちど!58番さん!日替わりの、ライスふつう盛り!」
…ふつう盛りだ!
思わず顔を上げて見てしまう。ガタイのいい男性が、カウンターへ向かう。
ライスは?
ライス、見せて?
ラーメンセットを受け取った男性のトレイには、茶碗からこんもり出る量のライスが盛られていた。
すごく、多い。
あれは、多い。
レディースセットでよかったぁ。
ふつう盛りを見届けた後、晴が呼ばれた。
レディースセットは、ちょうどいい量だった。杏仁豆腐まで、ペロリとたいらげた。
「ごちそうさまでした」
食べ終えた食器を返却口に戻し、店を出る。
店を出て少し歩くと、足湯があった。湯量が豊富なこの街では、温泉施設だけでなく、足湯も数箇所設置されている。
これこれ。足湯があるから、ここに来たのだ。
しかも、足湯は無料。
最近は、ふくらはぎまでの長さしかないストッキングが売っている。スーツには欠かせないストッキング。こういうとき、助かる。
脱いだストッキングが風で飛ばないようくるくるまとめて、パンプスに詰め込む。
さぁ、浸かるぞ。
熱いのかな?
湯気は立っているけれど、温度がわからないからつま先だけチョン、とつけてみる。
お、ちょうどよさそう。これは長湯できそうだ。
スーツの裾が湯につかないよう捲り上げながら、両足を湯にひたして一息つく。
「大崎さん?」
ん?
聞いたことがある声が聞こえて振り向くと、自転車に乗った菅沼が晴を見ていた。
「なんで?」
「なんでって、大崎さんこそ。今日って、仕事ですか?」
しまった、会社の人に会うとは。まさかスーツで旅行してるなんて思わないよね。
「ううん、違うよ。菅沼くんは?どうしたの?」
「えっと」
菅沼くんの右手人差し指が、地面を指す。
「地元なんです」
「え?」
「このへん、地元で。実家が、近くで食堂やってて」
…え?
食堂っていったら、あの食堂しかない。
「え?今、私、食べてきたところだよ!」
「え?」
お互いにびっくりする。先ほどの食堂は菅沼くんの両親が営んでいる店らしい。それで、菅沼くんは今、出前を頼まれて届けた帰りらしい。
「前はもっと、賑やかな街だったんです。観光客も多くって。でも今は、お客さんは地元の人がメインで。あとは、工事の人たちも。復興しなきゃ」
この辺りは、数年前の大雨災害で大きな被害を受けている。確かに、車を運転してここに来るまでに、通行止めの表示をいくつか見かけた。
晴は足湯に入ったまま、菅沼は自転車に乗ったまま、話は続く。
「菅沼くん、前、実家に用事があるって言ってたの、お店の手伝いだったんだね」
「少し前まではパートさんがいたんですけど、雨のことがあって心配だからって、息子さん夫婦に呼ばれて引っ越しちゃって。新しい人を募集しても来ないし、人手不足なんですよね」
「継ぐの?お店」
「うーん。どうでしょうね。わかんないです」
そろそろお店に戻らなきゃ、と言う菅沼くんを見送った後、足湯から上がった。
足が軽い。ぽかぽかしたまま次の足湯まで歩き、また浸かる。
それを何度か繰り返し、晴の一人旅は終了した。
月曜日。会社。
人事部のフロアに入ったとたん、先に出勤していた朝井が近づいてきた。
「大崎さん、会社、辞めるんですか?」
「え?」
「転職しちゃうんですか?どこに引き抜かれるんですか?」
どういうことだ。
「菅沼くんが、休日にスーツ着てる大崎さんに会った、って。もしかしたら面接受けてきたんじゃないかって。どこの会社ですか?」
違う、違う。
ただの息抜き旅行だよ。…のあとに、なんでスーツだったのか問い詰められて説明しないといけなくなった。
「なんだぁ、安心した」
一通り話したら、納得してくれた。
「まぎらわしいから、旅行なら私服で行ってくださいよ。なんか、朝から喉乾いちゃった」
コップを持って、給湯室に入っていく、朝井。
「おはようございまーす」
菅沼が出勤してきた。
「菅沼くん」
「はい?」
「口、軽くない?」
「え?」
菅沼くーん。
「だって、気になったんですもん。あの場で聞けないじゃないですか。本当に転職だったらどうしようって」
そんなに心配なこと?
「で、転職するんですか?」
同じ説明、またするのかぁ。
フロアの電話が鳴る。
就業前にかかってくるのは珍しい。
「電話、私取るよ」
まさか電話に助けられる日が来るとは。
「人事部、大崎です」
「梅津部長お願いします。株式会社やめたろう、からお電話です」
タイミングよく、梅津部長が出勤してきた。取り次ぐ。
「部長、お電話です。株式会社やめたろう、からだそうです」
やめたろう、という名前にフロアがピリついた。
あ、そういえば聞いたことある。
前にニュースで見た。「退職代行」だ。辞めたい人の代わりに、会社に電話して取り次いでくれる、あの、退職代行。
「はい、人事部の梅津です」
部長はしばらく話を聞いたあと、受話器を置く。
「誰ですか」
雰囲気を察して田淵が尋ねる。
「青川さん。経理部の新人。辞めたい、そうです。配属が希望通りではなかったみたいで」
私だって、希望通りの配属じゃないけど。
話を聞いた経理部の見沢部長が、人事部フロアにやってきた。ご立腹だった。
「ふつうさぁ、辞めるかね?このタイミングで」
梅津部長がなだめる。
「まぁまぁ、とりあえず落ち着いてください」
新人が働き始めて、まだ1ヶ月も経っていない。でも、ここで本人が辞めたい、というのを引き止めたところで、意味がないのはわかりきっている。こちらにできるのは、穏便に退職手続きを進めるだけ。
書類のやり取りは郵送でできるけど、会社に置いている荷物は、できれば取りに来てほしい。代行に交渉してみたものの、「引き取りに行きたくない。部の人と顔を合わせたくない」ということで、晴と菅沼が荷物をまとめ、青川の自宅近くの公園で待ち合わせて渡すことになった。
荷物は、ダンボール1箱分。菅沼くんが持ってくれている。
時間になって、青川が現れた。
「来ていただいて、すみません」
菅沼が荷物を渡す。
「短い間でしたけど、お疲れさまでした。これ、荷物です」
「ありがとうございます。お世話になりました」
荷物の受け渡しだけ。なんで辞めたのか聞いたり、引き留めたりするのはNG。代行会社から細かい指定がされたから、世間話もしないまま、青川の背中を見送った。
「お昼、食べて帰ります?」
菅沼が指差した先に、ホットドッグのキッチンカーが停まっていた。
「そうしよっか」
それぞれに注文する。
晴は、単品でプレーンホットドッグを頼んだ。
菅沼も注文を終えて、近くのベンチに座る。
ホットドッグには、自家製ソーセージに、みじん切りの玉ねぎ、マスタードとケチャップが乗っている。パンも軽く焼いてあって、香ばしい。
包み紙をめくりながら、晴が言う。
「ふつうって、何なんだろ」
菅沼はもう食べ始めている。頬張ったホットドッグを飲み込んで、晴の方を見る。
「ふつう?」
「見沢部長が言ってたじゃない?ふつう、今辞めるかね、って。確かに短いとは思うよ。私も。思うけど、青川さんにとっては長い1ヶ月だったろうなって。いつ辞めるかなんて、その人次第じゃない?」
「大崎さん、やっぱ、辞めるんですか。だから引っかかってるんですか」
「いや、辞めないけど」
辞めたいと思ったことはあるけどさ。
「大崎さん、僕の実家が食堂だ、って言ったら、ふつうに、継ぐの?って言いましたよね」
言った。ふつうに。あ、なんか悪かったかな。
「ごめん、嫌だったかな」
当たり前のように聞いてしまっていた。
「いいんです、よく聞かれるんです。天気の話されてるのかってくらい。気にしないようにしてるつもりです。でも、継ぐのか継がないのか、自分でも明確に答えが出せてなくて。でも、実家が食堂ってだけで、継ぐのがふつうでしょ、みたいに言われるのがなんだかしっくり来ないなぁとは思ってます」
「ごめん」
「いいんです。人によってふつうの基準って違うと思うし」
ふつうの基準。
「ホットドッグセット、Lサイズにすればよかったかなぁ。結構、いけますね、これ」
あ。
「菅沼くんのとこの食堂さ、サイズ感ちょっと変わってるよね」
「サイズ?」
「ライス、3種類選べるじゃない?」
あぁー、と菅沼が笑う。
「ふつう盛りがふつうじゃないでしょ。最初はふつうだったんですよ。ここ数年でだんだん多くなってっちゃったんですよね。工事のおじさんたちがたくさん来てくれるようになってからかな。まぁ、初めて見た人はびっくりしますよね」
「ふつう盛りが大盛りくらいあるもんね」
左手をお椀に見立てて、その上に右手を少し丸めて重ねる。
「私のふつうはこれくらいかなぁ」
「少なくないですか?それだったらうちの少なめよりもっと少ないですよ。てか、大崎さんはふつうがいいんですか」
「そりゃ、変わってるよりはいいかな」
「ふつうの人生?」
「うん」
「ふつうに就職して、ふつうに働いて、ふつうに結婚して?」
「ふつうに働いて、まではいいけど、ふつうに結婚、はなんか引っかかるなぁ」
「そうですか?僕はふつうに働く、っていうのがひっかかりますけどね。だって、お店の味、ふつうって言われたら嫌ですもん」
ホットドッグセットについているオニオンリングをつまんで、食べる。
「ふつうって、なんなんでしょうね」
「なんなんだろうね」
ホットドッグセットには、オニオンリングとポテトフライがつく。長いポテトフライを食べながら、容器をこちらに向ける。
「一本、食べます?」
「いいの?」
「おいしいですよ。お裾分けです」
「ありがとう」
お言葉に甘えて、一本もらう。カラッと揚がったポテトフライは、かじるとホクホクでおいしい。
「おいしい」
「ですよね」
菅沼が、残りのポテトフライを食べ終わる。
「会社の近くにも来てくれたら僕、通いますよ。ゴミ、もらいます」
「あ、ありがとう」
ベンチから立ち上がり、キッチンカー横のゴミ箱に向かう菅沼。途中で思い出したように「あ、でも」と晴の方を振り向く。
「旅行先にスーツで行くのは、ふつうじゃないからやめた方がいいと思います」
やかましい。いいじゃんか。
5話(次)↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?