昔、高校の学校からのお便りに、 「タバコは家だけにしときなさい、という指導はありません。」 とあって、私はその微妙な言い回しに引っ掛かり、 「? そういうことを言った先生、もしくは親がいたのかな? そんで 言ったのはどっちだろう?」と思ったら。 「先生がそう言ったから。」と純情な親をだまして、家でスパスパ吸ってた悪ガキがいたらしい。親はいぶかしく思いながらも「・・・先生がそう言うのなら・・・」って?! 村のインテリゲンチャはお坊さんと学校の先生だけ、てこともあるし。 先生の言
小学生の頃、ウチではお盆に夏休みのビッグイベント、田舎へのお泊りがあった。大人たちは畳に寝そべりながら甲子園など観ていたが、正午になると、一分間の黙祷があった。 なんでお盆が、終戦記念日なの? 偶然? お盆て、死んだ人が帰ってくる日。 ことに、一九四五年の夏は。 ・・・海の底から、 ジャングルの奥から、 日本へ飛んで帰ってくる死者たちにこそ、 玉音放送は聴かせたかったのではあるまいか? 雑音だらけの、かすれたラジオの音声 むずかしくて 何言ってんだかわからないお言葉
昔、小学生の頃、夏休みのところどころに登校日があって、八月六日も登校日だった。 原爆投下時刻はちょうど外掃除の時間で、各自、校庭や中庭などそれぞれの持ち場で、サイレンを合図に一分間の黙祷をするように、と言われた。 黙祷の間、なんと祈ればいいの? その内容についての指示はなかった。何か言いたいことがあったかもしれないが、そのココロは読めなかった。各々の心に何が浮かぶのかは、内心の自由というものだった。 やがてサイレンが鳴り、私は目を閉じて、その長いんだか短いんだかわか
近所の高架橋の下に、ひっそり 小さな石仏が祀られている。人目につかない場所なのに、その前には硬貨が数枚置かれていて、誰か 参っている人がいるらしい。 詳細は知らない。でも、この橋を建設していた時、一瞬 ニュースが流れた。労災があった、誰か死んだと。 あああ。人柱が、立ってもうた・・・ 「どうか、祟りをなすことなく、 願わくば この橋の守護神となって、 ここを通る人々を護り給へ。 なにとぞ、なにとぞ・・・」 という、呪いを祓い、安全を祈願する、いのりの石仏なのであろ
小学校の先生が、児童のお弁当のフタをパカッとあけると、そこには白いご飯・・・のみ。時間がなかった、とか、予算がなかった、とか、ケンカした、とか、フツーにいろいろ事情はありましょうが、もしや虐待案件? 赤い梅干し一個あれば、おなじみ日の丸弁当なんだけど。戦中ならば、白いご飯は銀シャリと呼ばれてごちそうだったらしいけど。 名づけてシロハタ弁当? せめて、ふりかけの小袋くらいつけて? 白いご飯にレトルトカレー持ってきた子は、まわりの子に「あっカレーだ!イイなー」ってうらやましがられ
〇さなちゃん 私のおさななじみにさなちゃんがいた。 さなちゃんちには美しいカラー絵本があって、 お話はいろいろだけど おしまいはいつも同じ 「王子様とお姫様は結婚し いつまでもいつまでも幸せに暮らしました」 私はご飯を食べる時 手を合わせて「いただきます」と言うけれど さなちゃんちでは 指を組んで「アーメン」と言うのだった。 さなちゃん達は「信者さん」と呼ばれてた。 ある時、ニュースを見て、私はさなちゃんにたずねた。 「ねえ。信者さん達はユケツをしちゃいけないの? それ
教室で クラスメイトのキオが 左目の周りに青アザをつけているのを見て 「ケンカしたの?」と私は思わず聞いた。 「・・・・・・」キオは答えない。 まあ そんな親しい仲でもないしね。でもキオは乱暴者ではない。私は重ねて聞かずにはいられなかった。 「誰?」 「関係ないだろ」とキオはそっぽを向いた。まあ 関係ないんだけど。 でもケガしているのを見たら なんでか ツラかったんだ。 「・・・ケガ、しないでほしい」つい、口にしてしまった。 キオは振り返り、ボソッと「親」と言った。 え? 親
○少女の独白 「わらの上の子どもって、知ってる?」 (誰かの声)「・・・イエス様のこと?」 「違います。 生まれたばっかでもらわれる子のことを わらの上の子どもっていうんだよ」 私はわらの上の子どもだった。 ○お母さんの秘密 私のお母さんはとてもやさしい。 大好き。 なのに・・・なんでか甘えられなかった。小さなころから。 なんで? 私は古い古い記憶をたぐる。それって いつからだったのか。 お母さんは時々ぼうっとしてた。 「お母さん?」という私の声に ハッと我
民俗の歴史に しゃもじ権なるものがあるそうだ。私もよくは知らない。分配権。「ご飯をよそう係? それが何?」ピンとこないカンジかもですが たとえば アニメ「火垂るの墓」で節子たちが雑炊を少なく盛られるシーンがあったかと思う。あれがしゃもじ権発動の一例かと思う。また 朝ドラ「おしん」で 母が冷たい川に浸かってお腹の子を流産しようとしたことを知って 祖母が「私が死ぬ」と言って泣き叫んだシーンがあったかと思う。飢饉で家族が一人 また一人と死ぬ時、それはどういう順番で死ぬのか?しゃもじ
もう 昔の話なんだけど。某村の保健師に応募した人の話。 面接に行ったら なんか宴会が開かれて 村のお偉いさん方がずら~っと並んでる前に 村長さんと村の若い男の人に挟まれて座らされ「面接っていうより・・・なんかお見合いのようでした。」そう先輩に言ったら「あんた。それ、逃げられなくなるよ?」と耳打ちされたという。 なんでか保健師が定着してくれない村に「なにっ 新卒の保健師の応募? 村では保健師も欲しいが花嫁も欲しい。村の若者と結婚して、ぜひこの村に骨をうずめてほしい。逃がすな
中学校の修学旅行にて。旅館の大広間で全員一緒に食事した時のこと。男子は ガガガガガッとかきこむやいなや、おひつにむかっておかわりダッシュしたのですが それに参戦する女子はただの一人もいなかった。 後日 女子だけの集まりで「あれは絶対、ウソや~」「あんた おかわりにいけばよかったじゃない?」「いや私は足りたから・・・」プンスカ怒った彼女も「おかわりをした ただ一人の女子」になる勇気はなかったらしい。 うーん なんかモヤモヤする。そのモヤモヤの正体は いったいなにか? 「パ
Tちゃん語録より抜粋。 下の子が生まれることは 上の子にとって うれしいばかりではなくショックなことでもある。赤ちゃん返りをする子もいるくらいなので 上の子も務めてかまってあげて、と育児書にもあったかな? そうはいっても 授乳やなんやかんや手が回らんので お父さんにフォローをお願いしていたんだけれど 息子がぽろっとつぶやいた。 「僕はお父さんのお腹から生まれたんや」 ・・・至らぬ親ですみません。
昔 作った工作。
名画座の記事の続きというか 妄想の内容です。 「私は はからずも生きのびましたが 彼のためにも この世であなたをお守りしたい。」「・・・あの世であの人に会う日のために あなたのもとへ参るわけにはいきません。」「・・・あの世で また 三人で会う日を楽しみにしています。」 それでいいのか、とツッコミたいところですが こういう女性はお華やお茶の先生などして ひとりで美しく暮らしていたりするのです。すると 彼女のお弟子さんたちが 彼女の子どものようなものでしょうか? 何かは継がれ
先日わが街の観光スポットを通りがかったら、指輪屋さんなるものを発見。わかりやすいなあ。「さあカレシ、旅の記念に指輪を買って カノジョにプレゼントしよう! ついでに?プロポーズしちゃったり?」あるいは「カノジョ! カレシにおねだりして、指輪をゲットしちゃおうよ?」ですかね?いずれにせよ、商売になるほど需要はあるらしい?
私が結婚した時撮った、親族の集合写真をつらつら眺めていたのですが「あら・・・」向こうの親族の並びとこっちの親族の並びとで 身長に段差がある。向こうはみんな背が高く、こちらはみんな背が低い。そのことを父親に言ったら「こっちの親戚にだって、背の高い人は何人もいたんだが 体格のいいのはみんな戦争に取られて死んでしまった。」という。えーっ ウチは戦争のせいで背の低い家系になってしまったの? 父と義父は似たような歳ですが 父は十人近くいる兄弟の下から二番目。義父は長男です。父の兄たち