同じ会社を受けてもいい?
今日もお疲れ様です。
就活の話。
実家を出て一人暮らしをしていた私は就職活動も地元は受けなかった。
母は「帰って来て。」と言ったが帰る気は更々無かった。
実家が嫌だから帰らないとは言えなかった。
引っ越しにお金がかかるとか
自立しないと、とかなんだかんだ言い訳して
そのまま就職した。
就職する1年前にバブルが弾けた。
氷河期ってやつ。
山のようにあった求人情報も半分以下になったと先生達が話す。
求人を貼り出している部屋も半分も埋まらない。
バブルの時は部屋では足りず廊下まで貼り出していたと聞いた。
さっさと決めないと本当に決まらないかも…
焦りながら色々試行錯誤していた。
実家に帰りたくない私は必死だった。
そして就職活動を開始してから2ヶ月で内定が決まった。
それが夏の終わりの頃だった。
就職先が決まった事で気持ちが楽になる。
しかし、氷河期の為か、秋になっても年が明けても知り合いや、友人はなかなか決まらない。
年が明けて間もない1月の中旬
一人暮らしをしている私の家の電話が鳴った。
「もしもし?」
「あっ、夕希さん、いきなりごめんなさい。1年の時同じクラスだった佐々木(仮)です。」
久しぶりに彼女から電話がかかってきて驚く。
彼女(佐々木さん)は昔から私の事を『さん』付けで呼ぶのだ。
どうしてなのかは不明。
同級生なのに不思議だ。
入学した時に同じクラスだったのだが2年になり
クラスが変わった為話す機会は無くなっていた。
彼女から電話があるなんて珍しい…
何かあったのかと思い聞こうとした時に彼女から話始めた。
佐「夕希さんが行く会社、私も受けたら駄目かなぁ?」
いきなり言われて驚く。
だって彼女は私より成績は良かったから、早く就職先が決まったらしいと共通の友人から聞いていたから。
私「えっ?随分前に決まったって聞いたんだけど?」
佐々木さんに何かあったのか……?
佐「うん、決まってたんだけど不景気だから少し前に内定取り消された。んで、100社近く受けたんだけど全然駄目で……」
私「そうだったんだ。」
佐「でね、もう夕希さんは夏頃に就職先決まっていたでしょ?夕希さんの就職先検索してみたらまだ募集してるの。でも同じ所受けたら駄目かなって、ずっと考えてて…ただ、どこを受けても受からないし、日に日に就職先は少なくなってるし親もうるさいしでもう切羽詰まってて…」
彼女は泣きそうな声をしていた。
同じクラスの友人もなかなか就職先が決まらなくて地元に帰るかも…と言ってたっけ…
バブルの恩恵も何も知らない私達の時代。
皆、目の前に立ち塞がる就活の壁を越えようと必死にもがいていた。
私「私が佐々木さんの就職先を決める権利はないよ。佐々木さんが私の行く予定の会社を受けたいって思うのなら受けた方がいいよ。早く言ってくれても良かったのに…佐々木さんの事だからなかなか私に言えなかった?」
佐「うん、言えなかった。でもありがとう。良かった〜断られるかと思ってた…」
いや、そんな権利私にはないよ?
私「佐々木さんなら絶対に受かると思うよ。」
佐「いや、分かんないよ。でも頑張ってみる。ありがとうね。早く申し込みしないと!!」
私「そうだね。一緒に仕事出来るの楽しみにしてるね。」
佐「受かるように頑張るね。夕希さん、本当にありがとう。」
そう言って電話が切れた。
最後の方の佐々木さんの声は明るかった。
色々考えさせられた就活。
私はたまたますぐに決まったけど
決まらない時は全くかすりもしない。
佐々木さんが電話で言っていたように
100社近く受けても、いや100社を超えても決まらない人もいたのだ。
氷河期ってなんなんでしょうね。
本当に就職先は少なくて……いや、少ないどころの話じゃない位無かった。
クラスメイトの友人の中でも何人か就職先は決まらなかった。
早く内定を貰っても佐々木さんのように不景気だから内定を取り消される人もかなりいた。
だから就職先が決まっても誰にも言わなかったし言えなかった。
聞かれたら答えてはいたけど……
妬み、嫉妬、焦り、失望感……
就職先が決まった人と
就職先が決まらない自分をどうしたって比べてしまうのが人間だ……
反対の立場なら
毎日毎日焦っていたと思う。
あの日、私に電話をしてきた佐々木さんは
めでたく内定が決まり私と同じ会社で働く事になりました。
良かったです。
「夕希さんと同じ会社受けてもいい?」
どれだけ悩みながら佐々木さんは私に電話をかけて来たのだろうといつも考える。
毎年1月になるとこの出来事を思い出してしまいます。
皆様は就活の思い出はありますか?