能登半島地震後の豪雨被害で涙が止まらない話
令和6年奥能登豪雨の後、被害を伝えるニュースを見ると涙ぐんでしまう。同年の1月に起こった能登半島地震の時にはなかった現象だ。心が折れたというか、無力感。
1月の能登半島地震では直接被害を受け、近くの小学校で不安な日々を過ごした。あまりの惨状に、笑うしかないと思った。
一方、9月に奥能登を豪雨が襲ったときには、私は避難先の金沢市にいた。ずっとテレビの中継を見ていた。Xにもリアルタイムの情報があふれていた。わき上がる感情は、笑うというよりも無力さだ。
雨のピークが去り、被害が明らかになるにつれよく泣くようになった。
被害を比較すれば地震の方が大きいはずだが、私が受けたダメージは豪雨の方が大きい。直接被害を受けたわけではないのに、である。
思えば能登半島地震から9カ月経ち、町は生気を取り戻しはじめていた。被災地へ帰る住民も増えたし、外から訪れる人も多くなっていた。飲食店も相次いで再開し、今行ける能登と観光もはじまった矢先だった。
土石流で家ごと流され、住人が行方不明から遠く離れた地で発見される衝撃は想像を超えた。濁流に流される心情はいかばかりか。
川がはん濫して床上浸水し、家が泥だらけになった住人の思いはどれほどか。住家ばかりではなく、営業を再開したばかりの事業所も多い。街の中心部を流れる川が氾濫したため、被害を受けた人が多く報道でも大きく取り上げられた。
二重被災は、直接被害を受けた人だけではなく、避難をしていた人の心にも傷を与えた。なぜ能登ばかりが・・・は被災した皆の心に浮かんだことだろう。
被害の追い打ちが人の心を固まらせる。
本当に悲しいときは涙が出ないというが、今回ばかりは感情が抑えられない。うまく感情をコントロールできないのだと思う。
能登半島地震からもうすぐ一年。
壊れた建物はそのままか、解体されて撤去されているが、元に戻るわけではないのが現実だ。すべて無かったことにはならない。
物理的に心理的にも傷は残る。
それでも、何もしなければ世間から忘れられるだけだからと、前を向こうとする人たちがいる。
私のように現実を直視できない者もいる。
また冬がやってくる。
暖房のない避難所を思い出す。
報道では寒さを心配する声をよく聞いたが、現実の世界で全ての人が寒さを凌ぐ術はなかった。
どんな大富豪でも、避難先の体育館から逃げ出すことはできなかっただろう。来年の正月はなにも起こらないのか。また大きな災害が襲ってこないのか。いま安全だと思っている場所が、これからも安心出来るところである保証はない。
しばらくは、不安な心とうまく同居しながらやり過ごすしかない。
一変した生活もいつか身に馴染んでくると思いたいものだ。
これから何年もかかる復旧復興を、多くの人に見守ってほしいと思う。
心配してくださる皆さんにうまく伝えられないが、いまの気持ちの一端をとりとめもなくnoteに吐き出しておく。