能登へ災害ボランティアに来て欲しいのか、欲しくないのか論争
2024年1月1日に起こった能登半島地震で、石川県が発信し続けた情報だ。半島は自動車専用道路と一般道の2本で縦断されている。災害時は2系統あるので安心との触れ込みだった。自動車専用道は通行止め、一般道も何があるか分からないとなれば、正しい判断だった。
ボランティアは来ないで
発災直後は、自衛隊と消防・警察車両が押し寄せ、道路は大渋滞していた。1系統しかない道路で、一方通行の箇所が無数にあったからだ。しばらくの間、一般車両は来ないように呼びかけられていたのを記憶している。
実は通行が制限されていた間も、ボランティアは来ていた。医療支援などNPOの専門化した人たちは多数活動してくれていたのである。彼らはプロのボランティアと呼ばれていた。
いま思えば、プロと一般の境界線は難しい。避難所の運営や炊き出しはプロでなくてもできることがある。とにかく交通量を減らす目的だったので許して欲しい。
観光客には来て欲しい
その後、被害の少ない金沢市や加賀方面では、観光客に来て欲しいと呼びかけが始まり、混乱したようだ。来て欲しいのか来て欲しくないのか、どっち?石川県の経済を回すために、被害のない場所には来て欲しい。もっともな理由だ。石川県が南北に100km以上離れていることを知る人は少なかっただろう。ある意味、わがままに移ったのも仕方ない。
ボランティアに来て欲しい
震災から2カ月経って、現地で言われているのが、ボランティアに来て欲しい、である。どっちやねん。
地元の感情も複雑である。
町のあちこちには家屋が倒壊したままで、全然手がついていない。
道路は改善したが、片側通行の場所も多い。凸凹だ。
上下水道が復旧していない場所にボランティアが来ても不自由するだけで申し訳ない。
いろいろな感情が入り交じる。
ボランティアの方を見誤っていた
来て欲しいけど、来たら大変なので遠慮していた。というのが本音である。実際に石川県が募集する公式のボランティアは一日数十人程度。しかも、100km離れた金沢市からの日帰りがメインだった。往復に6時間以上かけて、現地の作業は3時間しかできない、とも揶揄された。
その後、民間のボランティア募集があちこちで始まる。住む場所は自分たちで確保する、上下水道の不便は覚悟の上で泊まりがけで来てくれる。
想像を超えていた。ボランティアは手弁当でというが、ここまで不自由な場所に来てくれるのだ。人数も民間の方が圧倒的に多い。そのうち、行政も宿泊できるベース基地を整備し始める。民間ボランティアの活動が行政を動かしたのだ。
#もう来てもいいよ能登
3月現在、上下水道は復旧箇所が少しずつ増え、宿泊できる場所も増えてきた。民間の受け入れがはじまり、ボランティアの数も増えてき始めている。
被災地の住民としては、ボランティアの方が少しでも快適に休憩できる環境が整備されて欲しい。でも、何もなくても駆けつけてくれる人たちである。大きな助けになっていただいている。
ボランティアの力量を見誤っていたとしかいえない。申し訳ないです。いまでも道路事情や衛生環境は厳しい。それでもよろしければ、すべてをお含み置きの上、来ていただけると助かります。能登が忘れられないうちに、よろしくお願いします。