いつでも歌を
音楽は「音」を「楽」しむと書くが、「音が苦」しみになってしまうこともある。
年少から特段素養もなく、アイドル系、JPOP、洋楽と普通にテレビのランキング番組やラジオをひねれば流れてくる音楽を聞いていた。
ちょっと特殊といえば、小学校低学年の頃から姉の影響で四畳半フォークを耳にしていたことくらい。
大学では男声合唱団に入部することになった。
そこでは日本の名詩を扱った作品や海外の古典に触れることが多かった。
そこでの活動は楽しかったし、未知の言語で歌う体験は言語学好きとしては興味がつきないところであった。
ただ、学業よりも歌って呑む生活をすると、プライベートでは一切音を聞きたくなっていた。当時の流行歌などは全くわからない状態だ。
話を戻す。
大学で指導してくださる先生方は、その分野で第一線の先生方ばかりで非常に恵まれていた。指揮者、ピアニスト、ボイストレーナーのそばにいられることは至上の喜びだった。
ただ、求められるレベルに応じられず、悔しくて泣くこともしばしば。
当時体調が悪く風邪を引きやすかったこともあり、身体が資本の合唱では十分なコンディションが整えられないことも。
これがプロ音楽家だったらどんなに苦痛だろう。音楽を楽しむ余裕などあるのだろうか。しかも聴衆は普通の演奏ではなく、毎回、並外れた演奏を期待しているのだ。
毎回惰性になることなく、真剣に音楽作りに導いてくださる諸先生方を思うと驚嘆せざるを得ない。
当時分からなかったことでも、現在では手軽にアーカイブで聴くことができる。学生たちはもちろんのこと、先生方にも一切の妥協はないのだ。
社会人になってしばらくOB関連の合唱団で活動することもあった。
学生のようなひたすらな練習量はないが、より強い責任感で望む必要がある。
先生方も学生相手とは少し異なる態度で臨まれていたようだ。
途中でも棒を投げ出して帰ることはなくなったが、「皆さんはセミプロでしょ」と刺激してくることも。
それでも、ご指導を受けることは何にも変えがたい贅沢な時間である。
自分たちだけで音楽を作るときにも滋養となるし、専門家目線での指摘は貴重である。
先生方も天に召されることが多くなり、先日は親愛なる大切なピアニストの先生もご逝去された。
こころにぽっかり穴が空き何も手につかなかった。そういうときは何もしないのがいちばんと決め込んだが、思い出すたびに泣けてきてしょうがない。
この状態はしばらくのだろうが、上を向いて、休んでいた活動を再開しなくてはと思う。諸事情のせいにするのはやめて今できることを楽しまなくてはならない。
先生の奏でるベーゼンドルファーの調べをいつまでも忘れずに。