何も成し遂げずに終わるのか
久しぶりのnote
仕事のこと、家族のこと、自分のこれからの人生のこと、コロナ禍での人間関係のこと、ずっと色々なことに悶々と過ごしてきた。
自分なりに整理できてから記録しようとnoteから離れていたが、アウトプットすることで見えることもある。
そんなわけでとりあえず再開してみることにした。
私はここ数年、本を読むようになった。
特に自己啓発系の本にハマっている。
自分に足りないものや余分なものに気付きを与えてくれるから、読んでいて楽しい。
何かにぶつかる度に自己啓発系の本にヒントをもらい、試行錯誤しながら少しずつ前へ前へと進んできた。
対子どもであっても人間関係に上下はなく、あくまで前後であること。
人を支配するために怒りという感情を使ってしまうことがあること。
変わろうと思っていない他者を変えることはできないこと。
他者の感情は自分のものではないこと。
職場での指示に感情を持ち出さないこと。
自分の経験を押し付けないこと。
今までの当たり前が通用しないことに嘆くより、"して欲しいことと期限"を明確に伝えること。
本質的な問題に取り組むための時間を作る必要があること。
すべての仕事をする必要はないこと。
エッセンシャルな思考で生きること。
これらのためのベースとなる睡眠の質の上げ方や自律神経の整え方
などなど、多くのことを教えてもらった。
(私には読みきれないので、本を読んだ夫から教えてもらったことも多い)
本を読んで実践していくと、少しずつだが成長を感じる。
もちろん自分に合わないものや今の自分にはまだ理解しきれないもの、前に読んだ本と意見が異なるものもある。
それでも実践しているうちに見える景色が変わっていくのを実感する。
そして、成長を続けているといつか自分も著者の方々と同じような人生を送れるような気になってくる。
著者の方々はいわゆる成功者と言われるトップランナーだ。
私は自分もそのうち様々なしがらみから解き放たれ、何かを成し遂げられるとワクワクした。
しかし、時間と共に多少は成長しているものの、環境はほとんど変わっていない。
むしろ、仕事では効率をあげても就業時間に縛られ続ける現状や人材育成について学んでも組織の人員配置や採用に対する考え方が変わらない中で実践する難しさを痛感し、学んだことと現状のギャップに悶々とすることが増えた。
会社にとっては前より使える人材になったかもしれない。もしそう感じてもらえるならそれもありがたいが、職場でのストレスや人間関係からは解き放たれてはいない。何か新しい事業をやってみる時間や金銭的な余裕もない。
結局、『私は何も成し遂げずに終わるのか!?』と自問自答する。
このことが、しばらく私を苦しめた。
漠然とした焦りや喪失感といえばいいのか、私の語彙力では表現できない感情に支配されていた。
その感情は私の意欲を低下させ、本からも遠ざかり、スマホの中に何か幸せはないかと依存させた。
スマホの中に幸せが転がってるわけがないことくらいはわかっている。
しかし、やめられなかった。
そんな日々が続き、さらに自己嫌悪になる。
そんな日々から脱したく、ふと顔を上げ、辺りを見渡す。
のんびりお散歩しているおばあちゃん
電車の中で友達とはしゃぐ高校生
保育園から子どもと手を繋いで家に向かう仕事帰りのお母さん
彼らは何も成し遂げていないのか?
各業界で功績を残して名の知られる存在になったり、高収入を得て自由を手に入れているということが成功者とするならば、たぶん、私がお見かけした方はいわゆる成功者ではないだろう。
(見た目で判断してはいけないが、、)
でも、それぞれに人生があり、その日1日を生きていた。きっと、それぞれに小さな幸せを感じながら・・・。
それで十分幸せな人生ではないか。
私は何を焦り、何を求めているのか・・・
私は大きな間違いをしていた。
重要なのは、何かを成し遂げることではなく、何を成し遂げたいかだ。
家族との時間や自然と触れ合う時間を大切にしたい方、仕事で成果を上げたい方、友達との思い出をたくさん作りたい方、それぞれに大切な思いと時間がある。
自分が決めた人生
過ごしたい時間
それらを大切にできれば、ありふれた人生であっても『自分の人生を生きる』ということを成し遂げたということだ。
私は何を成し遂げたいのか・・・
ゴールも見えずに走っていたのか。
それでは、辿り着くはずがない。
そんな当たり前のことにやっと気付いた。
すでにいい歳になってはきたが、人生まだまだこれから。焦らず、自分の人生を主体的に生きるために、まずはじっくりゴールを考えてみることにする。
せっかく生きているのだから。