桜井識子さんの本を頼りに 城ヶ島へ龍に会いに行きました なんでも城ヶ島自体がパワースポットで 馬の背洞門というところで お願いをすると 龍からパワーをいただけるとのこと パワーを欲する友人と 城ヶ島へ まずは三崎港の 海南神社へ お参りすると 海岸で龍が待っているよと聞こえました お昼を食べて いざ城ヶ島へ 馬の背洞門へは 最寄りのバス停から 徒歩15分程 お天気にも恵まれて 自然と同期して 身体も心も整いました 願い事をすると もの凄い勢いで 光の玉が飛んでき
私は今 幸せで在る 目が覚めて 暖かい布団の中で 本を読み そしてnoteを書いている けれど ツライ思いをしている 人々を想うと 幸せと言ってはいけない 認めてはいけないと 抵抗があり 素直に幸せを認められない 私に気づく この幸せを受け入れないと 幸せになれないのか 感謝もできないのか 幸せなハズの今が 不安に呑み込まれてゆく 今この時間 私は幸せを 認められず 感謝もできない 自分をせめる 材料にしていたのか それでは この地球上にいる人は 誰が幸せになれるのか 誰も
夢を覚えていたいです そうお願いをして寝たら やっぱり悪夢で目覚める 今朝の夢は やはり夢と認識できず 目が覚めても 暫く覚醒しなかった 亡くなった従兄弟が泊まりにきていて みんな出掛ける準備を慌ただしくしていた 私は朝何時に出なければいけないかが わからず慌てていて 最後は家族に呼びかけていたのに 急に声が出なくなり 叫ぼうとすればする程 呼吸も苦しくなって 息もできなくなって 意識消失で目覚める 目が覚めても 今日が休日と認識できず 仕事かと気分が滅入った後 休みだと認
鹿島神宮の森は異空間のようで 歩いているだけで心地よい エネルギーがチャージされました 森林浴はひと月程 エネルギーが持続するんだって そんな話を旅の友としていると 半月でリセットされると 視えない存在からの声が聞こえました 友人に 半月後にどこか神社へ行くのと尋ねると え、何で知ってるのと驚かれる 私が次にどこかへ出掛ける予定は ひと月程後 もしかしたら 私も半月後にどこかへ行くのかもしれない そういえば 鹿島神宮の奥宮で 紅水晶を受けとった アレを持ってどこかへ行くのか
旅にでました 数日前から準備がはじまり 当日は沢山のサポートを受けて あぁ自分に必要な場所へ行くのだなと 実感がわきます だからといって 身構えることもなく 目の前の現象をただ見ているだけなのですが 鹿島神宮には森があって 地面の土が音を吸収して 静かな空間が広がっていました 森の木々の隙間から 現実では見えない 光の柱がありました 本殿へ行くと裏へ行けというような指示があり そっちの方向には 奥宮と石がありました そこを時計周りで一周 その後、湧き水の御手洗池へ ここの
あちらとこちらの境目もわからなくなるくらい どっぷり彷徨っていた休暇の5日間から 仕事へ復帰した もちろん、嫌でたまらなかったが グズグズしながら家を出た 駅まで原付バイク 家を出て1分後 何年も通い慣れた道で小石か木の枝を踏んだらしくパァーンっと大きな音がする もう心臓バクバクで帰りたくなる 更に1分後 小枝を踏んでパァーン 私は聴覚が過敏で音が苦手 駅に着く頃には震えていた 怖くてたまらなくなっていた バスの中では 不安に苛まれていた 思考は畳みかけるように 今日は
9月9日。 重陽の節句 陽の気が強まる日 本当は30年来の親友と毎年行く 夏旅行に充てていた。 けれど、私にしては珍しくグズグズと確約できずにいて、 母の手術と通院の日程が丸々被ったとき そういうことかと思った けれど、現実は更にその斜め上をいき 病院以外はずっと家にいて 意識をあちらの世界へ飛ばしていた その要因となったのは 辻麻里子さんの 藍の書。 読み始めても15分が限度 苦しくなってしまう けれど、 読んでいると在る存在とコンタクトが取れて 辻さんは座標軸やら何やらを
辻麻里子さんの藍の書を読み始めました 絵を描いていた 藍が足りないとずっと感じて 言葉にしていた この不足感の答えがあるのか わからない エッカー順子さんの刊行にあたってを 読むだけで泣ける上に その先を読み進めようとすると 脳ミソが揺れる感じがして (↑こうとしか表現できない) なかなか進まない ただ本に触れていると 嬉しくて落ち着く 電子版ではなく 紙の本がどうしても欲しくて 唯一見つけた 大都会の本屋まで 人混み嫌いなのに 必死で手に入れた そんな自分も愛おしいし
私を愛してくれる存在へ いつもありがとう あなたがいるから 私は私でいることができる いつもありがとう この世に1人だったとしても あなたがいてくれるから 安心していられる ありがとう ありがとう 幸せだよ