「好きかどうかは、私が決めるんだよ」という毎回のやりとり
( 約1,000字 )
「おーい、(ちび蔵)元気か。
ちび蔵が好きなお父さんだよ」
もちろん、ちび蔵のところには私の下の名前が入ります。
祖母がつけた名前だけれど。
電話をかけてくるお父さんは、必ず、この台詞を言う。
「お父さん、好きかどうかは、私に決めさせてくれる?」
という、まるで合言葉のようなやり取りが繰り広げられる。
私には父親と娘の距離感があまりない。
昔から、父から溺愛されていた。
長女なので弟や妹より愛着があると、
父は言う。
小さな頃から、父の職場にも顔を出したり、立食パーティー(会社で花火大会があるときに、バイキング形式の夕食を振る舞われた)やら、社員旅行やらに連れて行かれたのだった。
いまだに仕事の日の昼間にも、電話をかけてくる。
電話に出られる状況のときには話をするが、忙しいときは留守番を残されるため、仕事終わりに折り返している。
電話がかかってきたから折り返したのに、
「あ、今、(夕)ご飯中だから、後にして」
と、勝手な性格である。
「私は用事ないから、電話はいいよ」と話すと、
「お母さんに代わるからな」
と言って、父親は夕ご飯を続行するのだ。
母と近況を話し、数分後にはまた、
父親が電話口に戻る。
「ちび蔵が好きなお父さんだよ」
と、お腹を満たした父が話し始める。
「ねぇ、好きかどうかは相手が決めるんだよ。他の人にはそれ、言ってないでしょうね」
と私は聞いたことがある。
どうやら、私にしか言わないらしい。
母は、私と同様、父を手のひらで転がすタイプなので、相手にされないようだ。
だから、その分、私が話を聞くことにしている。
相手が思うことを自分が強制されるのは、
大概、嫌なことが多いが、
「好き」は特殊な位置にある。
自分が嫌いな人でなければ、嫌な気はしない。
父の「お前(ちび蔵)が好きなお父さん(自分)だよ」は、私たちの間では、挨拶みたいなものなのだ。
父から「お前」など言われたことはないが、文章的に分かりやすいから、この表現を使ってみた。
私は、男性から「お前」と言われるのが、
一番、抵抗がある。
付き合っている人であっても。
好きな人が、自分を好きなはずだ、と思って話すのは、なかなかの勇気がいることだが、
相手が好きだ(相思相愛)という場合には
何の抵抗もない。
博打みたいなものだけれど、
「◯◎が好きな(自分の愛称)だよ」
とフランクに言ってみて、
受け入れてもらえたら、
告白しても撃沈することはないでしょう。
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