痛みや怒りや悲しみについて(SNSで傷つくこと)
(約800字)
夜は静かに過ごす時間だから、言葉を読むのには適している。
でも、手紙を書くには向いていない。
気持ちが溢れて余計なことを書く場合があるから、できる限り、切手を貼る手紙は時間を置いて読み直すクセがついている。
たくさんの人がSNSで傷つくのは、そこに感情が伴うからだ。
ひとの気持ちを否定する必要がありますか?
私の気持ちは私だけのもの。
あなたの気持ちはあなただけのもの。
人を殺めてはいけません。
誰でも分かっていること。
自分が、たとえ気に入らないことがあっても、言葉で誰かを傷つけていいことにはなりません。
noteでは、いろんな境遇の人が記事を書いています。
その多くの人が、リアルな社会では出会わない人です。
たしかに、note内には文章を上手に書く人はたくさんいます。
ひとりよがりな文章を延々と綴る人もいます。
それは悪いことではありません。
自分の記事の主人(あるじ)は、自分自身であり、その言葉たちは自己責任のもとで表現されるものです。
アカウントは、いくらでも作ることが出来るかもしれません。
ただ、命は一つしかありません。
怒りや悪口について、誹謗中傷が無くならない世界で声高に叫んでも、簡単に終わる問題ではありません。
コメント欄に人柄が出ます。
これを書いた人が、どんな人だろう?
そう思って、記事を読みに行くことがあります。
記事を読むと、自分が好きな内容なら、そのnoterさんを理解するきっかけになります。
文章に人柄が出て、コメント欄で人間関係のコミュ力(りょく)も垣間見ることができます。
長いコメントには長く返す。
質問には答える。
普通のことです。
『好意の返報性』という心理があります。
相手が好意でしてくれたことを、好意でお返ししたい、と思うことです。
喜怒哀楽は、相手を鏡にすることがあります。
気分を害されたら、それを好意で返すひとはいません。
心が悲しいのは、痛いこと。
怒りをぶつけられるのも、痛いこと。
自分が大切に思う者が傷つくのも、痛いこと。
肉体を叩かれなくても、痛いことを
他人にしてはいけないのです。
心も、肉体に宿っています。