「才能」という言葉にピンとこなかった冬
(本文約800字)
雪が降ると、あの凍えそうな冬に戻ってしまう
記憶だけが 何十年も昔まで遡る
小学校の学舎は、小柄の私には広く大きい建物だった
授業が終わった後の校庭には日が傾きかけて、あらゆるモノの影は長く伸びていた
落葉高木の枯れ葉を集めるだけ集めて、茶色のカサカサした塊をうず高く積み上げて、友だちだったか、上級生だか後輩だかの区別もつかないが、帰宅するバスを待つ時間が惜しくて「焼き芋」を焼く準備をしていた
焼き芋は、私の気分を高揚させた
それも束の間、次の会話で、急に手が冷たくなっていた
「ねぇ、毎年の習字は冬休み明けに、また提出するんだっけ」
そこに居たひとりが長い竹箒を使って、枯れ葉を集めている最中に質問を投げかけた
私は「習字」というふた文字を聞くと、居心地が悪くなるのだった
なぜなら過疎化の進む田舎の学校では、ひとクラス数十人しか生徒はなく、毎年の墨で書く習字のコンクールは毎回、金賞を取っていた
みな墨汁で書く字を練習しないのか、私は毎回、金賞を取った
それは小学生にあがってから中学校を卒業するまで、ずっとだった
ずっと金賞‥‥銀賞だったことがあっただろうか
縦長の白い習字の紙に、金・銀・赤色の折り紙の印がつけられて、廊下に飾られた
それが嫌で仕方がなかった
保育園時代から、義務教育を卒業するその日まで、田舎の学校のメンツはほぼ同じだった
判を押したように金色の紙が右上に貼られるたび、私はため息をついた
嬉しくなかった
どうせまた、同じひとが同じ賞を取る
クラスには、そんな空気が漂っていた
字を丁寧に書けば、綺麗な墨の字が誰にでも書ける気がした
賞を取れないのは、他の人たちが習字を練習しないせいだと思っていた
ある年、書き初めの字を練習せずに一枚
清書して提出した
でも蓋を開けてみたら、審査の後、同じように金色の紙が右端に貼られた
それは字を書くことについて、「才能」という言葉の意味を脳みそに落としこめない私の嫌な思い出になっている
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