私が知る秋の季語の記憶
(約1,000字)
「紅葉鳥」は、鹿の異名。
鹿軍団に会ったのは、忘れもしない中学生のとき。
静岡県の学校は当時、修学旅行といえば
小学校は東京近辺、
中学校は京都、奈良県が一般的だった。
小学生の東京観光では、東京タワー、天皇陛下がお住まいの皇居、鎌倉の大仏、東京ディズニーランドなどだった。
中には神奈川県、千葉県も含まれているが、田舎の小学生の私には煌びやかな街のネオンが眩しくて、新幹線で到着する東京駅の近くの巨大な建物に恥ずかしくなるくらいに胸が高鳴ったのを覚えている。
中学生の修学旅行で忘れられないのは、私の描いた金閣寺のイラストが旅のしおりに採用されたことだった。
金閣寺を描いた私のイラストと、銀閣寺のイラストが候補に残り、多数決で金閣寺が表紙を飾った。
出かける前から、修学旅行に対する思い出は積まれ始めた。
京都・奈良観光では、新京極近くの旅館に泊まった。夜に出かけて昭和の土産物の代表である観光地の名前が入ったペナント、変なキーホルダーや、生八ツ橋、砂糖菓子などを買った。
奈良観光といえば、奈良公園の鹿たち。
鹿はあちこちで、鹿せんべいを頬張っていた。
怖い‥‥ 。ものすごい勢いでせんべいを食べている‥‥。
私が好きな「仔鹿物語」に出てきた鹿とは違い、かなり迫力があった。
アメリカ文学の不朽の名作に涙したのに。
鹿せんべいは、小銭で購入した。
友達がみな買っているのに、私だけ出遅れるわけにはいかなかった。
「ちょっと想像していたのよりも大きいね」
友達が先に、鹿軍団の中へ入って行って、鹿せんべいを食べさせ始めた。
私は何ごとも、他人の手本を見てから行動するタイプだったので、友達がせんべいを食べさせるのを見終わった頃に、煎餅を袋から出していた。
友達の行動は、早々にお弁当の準備にシフトしており、私は完全に出遅れた。
私がオロオロしながら鹿せんべいを手に軍団の中に向かっていると、先生の声がした。
「危ないから、手を引っ込めちゃダメよ。
お煎餅から、さっさと手を離して、鹿から離れなさい!」
鹿せんべいを食べさせ終えた人が、周りにいないのを気づいた私は、鹿軍団に注目を浴びた。
わ、でかい。せんべいの数と鹿の頭数が合わない!
危険を感じた。
怖くなって、鹿せんべいの端っこを持ち、ギロギロした目の生き物にせんべいを口に押しやると、若干、後ずさった。
そのうちの大きな角であったであろう鹿が私に向かって脚を伸ばした。
肩の少し下、胸部に思いきり脚の衝撃があった。
コホッ、ゴホッ、と胸を押されて咳が出た。
鹿せんべいは、鹿が食べるもの。
食べものに群がる生き物の恐ろしさを知った
修学旅行。
確かに私は修学した。
※シロクマ文芸部の「紅葉鳥」に参加します
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