『てんぷく』【短編】
(約1,000字)
咳をしても金魚。
咳が出たとしても、水面のぎりぎりのところで耐えたなら、きっと大丈夫。
「ひっくり返ってしまったら大変さ。
大慌てで挽回しようとも、時すでに遅しなんだ」
誰だったか、教えてくれた。
カナッペが追われていたとき、おそろしく慌ててしまい、私は、きんちゃんのところまで逃げた。
水の中では、私に敵うものはいないという自負はあった。実際、ちぃちゃんとラムネくんとヨーイドンでワカメのお城に着く競争のときは、ダントツの1着でゴールをきった。
ワカメのお城は、ゴッさんのテリトリーだ。
ゴッさんのことは、みんなが遠巻きにして機嫌をとるように行動する。
カナッペは他のコより身体が小さくて、あまり仲間たちに馴れ馴れしい態度をとると、またゴッさんが追いかけてきて、鱗を取られかねない。
カナッペは、最近、黄金色の水からやってきたばかりだ。
まだ、5日前くらいの夕方だった。
ゴッさんが夜な夜な鱗を一枚ずつ並べて、それを小石の端に貼り付けて、虹色に光るソレを舐め回すように眺めてはデラックスシートに身を沈めて特注のワインと共に堪能している、という噂を聞いた。
ゴッさんは、この辺では権力者だった。
黄金色の水も、実はゴッさんの家だったのを
黒い巨人が奪い取って、ゴッさんには罪滅ぼしでいまだにマージンを支払っているとか。
黒い巨人の気まぐれで、ひと月に1度、夢の架け橋まで呼ばれて、上質な音楽や観劇を楽しむ極上の時間を過ごしているとか。
とにかく逸話の絶えない存在だった。
カナッペが、ここの生活に慣れたころ、水中の仲間の間では「お触れ」が聞こえてきた。
次に、ワカメのお城に近づいてきた者の鱗を10枚剥ぎ取るというもの。
恐ろしいお触れ。
私は恐怖だったが、黒い巨人がご飯を撒く時間に合わせて上の方へ上がって行った。
カナッペが私の後をついて来た。
「今日は特別、ツバメの巣が入った高級ご飯だよ」
カナッペはそう言うと、黄色がかったご飯を次から次へと食べ始めた。
コホッと咳をした。
私も負けじと食べていった。
すると、カナッペは私からゆっくり離れていき、くるんと体の向きを変えた。
もう一度、コホッと小さく咳をした。
お腹が水面の方にあがってしまい、バタバタしているようだ。
1分ほどしてから、すーっと水中へと落ちていった。
真下には、ワカメのお城が見える。
「あれは、転覆病だよ」
と、物知りのラムネくんが教えてくれた。
次の日、10枚の鱗が水面に揺られながら、
キラキラ光っていた。
そして再び、カナッペを見ることはなかった。
〜おしまい〜
※「転覆病」とは、金魚にみられる病気です。
エサの食べ過ぎなどが原因で、水面に体が浮いてしまったり、沈んでしまったりします。
また、金魚は動きの鈍い個体がいると、追いかけていったり、鱗をちぎったり、死んだ魚をばらばらにして遊ぶ習性があります。