やはり私たちは生かされている
今日は知り合いの方に紹介してもらって、
山伏の星野先達と行く神社巡りに参加してきた。
とにかくすごく気持ちがいい日だった。
山伏になるってどんな人なのだろうかと思ったけど、
自分と通じるところがあまりにも多すぎてすごくしっくりした。
ただすごく修行を重ねていて、その結果すごく緩やかな人になった感じがする。今を生きる人だった。人生なりゆきの積み重ねている人。
色々な気づきがありすぎる。
祈りとは何かも考えさせられた。それは本来日常だと言っていた。
神社やお寺に行くからやるものではない。いただきますやおはようにも現れていると。
祈りはなんだろうって考えた。願いと何が違うんだろうって。
感謝だって腑に落ちた。そして感じているままであること。
他にも滝にお祈りしているとき、
ふと自分は目の前に水場があるのに、そこに確かに生き物がたくさんいるはずなのに、見えていないということに気づいた。
目で見えることって大したことないなと思った。
(そう思った瞬間ズボンの中に毛虫が入っていることに気づいた笑、今赤くなってかゆい)
目で見えないことを大切にしたいと感じた。自分が感じていることを自分で信じること、人と違くて当たり前であること、その積み重ねでさらに感覚が洗練されるのだろうな。
先達の水の話が面白かった。というか最近の自分が考えていることにつながった。
全ては水から始まっているという。
最近の豪雨は地球が熱くなってしまったから上に行き、それが落ちてきただけだと。
神社で御神木と木が祀られるのは、木がその地の水を一番吸っているからだとか。納得だった。
あと今日歩いていたら、すごく視線を感じて森を見たら、ニホンカモシカがいた。ずっと私のことを見ていた。
なんか気づけてすごく嬉しかったな。少しでも通じ合えた感じがして。森や山に来ると父に会いたくなる。父からの教えを色々と思い出す。
もっと自然でいい。自分の意志で生きようと頑張らなくていい。
そもそも我々は生かされてる。この地球に。極端に言えば息をしているだけでもいいと思えた。
今日まわった神社や滝、割と住んでいるところに近かったのに知らなかった。
前に伊勢神社に行ったときにお世話になっている方から、どこの地にも気持ちがいいところがあるよって言われていて、今日ようやくそれをちゃんと感じられて嬉しかった。もう少しここにいたいなと思えた。
たくさんの気づきに感謝。