コロナの人。認知症の人。
今年は何もかもが変わってしまったようで、
実はあったけど目に見えなかったものに目が向いた、そんな年になっているような気がする。
ウィルスや菌は昔から存在して、
たくさんの人が風邪を引き、
何人かの人が命を落とした。
(だから大丈夫、とか言いたい訳じゃないよ)
新型コロナウィルスの流行をきっかけに、
毎年どれだけの人がインフルエンザで死んでいるかとか、
高齢者にとって風邪を引くことが命を落とす一因となりうることなんかが、
普段気にも止めないようなたくさんの世代の人に注目されるようになった。
今まで気にもしなかったウィルスや菌を殺そうと躍起になり、
或いは、人間の体が菌に守られていることにもふと気づく。
優しいと思っていた隣人が、
激しく責め立てる敵となる。
目にもとまらなかった気遣いに、
気づいて頭を下げたくなる。
新型コロナウィルスにかかれば『コロナの人』と呼び、
『出ていけ』『こっち来るな』『近づくな』と差別する。
人の中に人を蔑む心がある。
多様性をうたいながら他者を受け入れる器の育たない社会だったことに唖然とする。
このようなことは、
実は社会の中に往々にしてある。
介護の世界にも。
『介護って大変だね。認知症の人の相手をしたりしなきゃいけないんでしょ?』
そんな言葉をかけられることがある。
ねぎらいの言葉かもしれない。
聞き流していく日常会話かもしれない。
だけど今日は、立ち止まって言おう。
『認知症の人』なんていないよ。
認知症を患った、愛すべき1人の人がいるだけ。
『コロナの人』なんていないよ。
新型コロナウィルスに罹患した、愛すべき1人の人がいるだけ。
抽象化は、時にものごとを何処か遠くのことに感じさせてしまう力がある。
だから、ちょっと立ち止まって、考えて。
どの人もまずは1人の人間であることを。
強い言葉で非難する前に。
蔑む前に。
傷つける前に。
さて、
そんな気持ちが強くあるので、
私の愛すべきおばあちゃん『テル子さん』が、認知症を患ってからのお話を皆さんにしようと思います。
…長くなるので、また、今度(笑)