ピーマンが嫌い。FULL.ver

*警告 本記事に書かれているすべての内容について根拠は一切ありません


小学生のころ、”友達のいいところを見つけよう!”的なのありましたよね
足が速い、優しい、頭がいい、気が利く、かっこいいかわいい。そんな褒め言葉が飛び交いました。
私の元にも来たんですよ。
”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”憂い。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”憂い。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”
憂い。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”優しい。”優しい。”優しい。”優しい。”優しい”・・・・・・・・・・~~優しい。” 
よほど優しかったようですね。皆さんこうおっしゃいました。
「あなたのおかげで”優”の字が覚えられました。ありがとう」 と。
えーー人は思いもよらないところで感謝されるものです。例えば、今ここまでこの文章を読んでくれた貴方に、私は、あーー感謝しているわけです。
問題があるとすればーーー?
私は決して優しい人間ではなかったということと、貴方は上の文章をちゃんと読んでいないということです。
どういうことかはちゃんと読めばわかります。
口先の感謝なんてそんなものです。だから私はありがとうを言わないわけです。

冒頭弁論 終 
というわけでこんばんは。魚座でもAB型でもない貴城と申します。
よく言われるので先にことわっておきます。魚座でもAB型でもありません。
というか魚座のAB型なんてこの世にいないわけです。エビは無脊椎動物なので。

はい。すみません。
もう1つ嘘をつきますが、貴城はピーマンが嫌いでした。本当はおいしく食べる子だったんですが、便宜上嫌いだったことにします。
人は変わらないので当然今でも嫌いということになります。
よって貴城はよく「ピーマンが嫌い」と言って回るわけですが、そうすると

「ピーマンのことをよく知らないのにそんなことをいうな!」
「ピーマン差別だ!」「偏見だ!」「ピーマンの人権を無視するな!」

などと焚きつけられるわけです。これがいただけない。
ピーマンはおいしくいただけるが、彼らはクズだ。

 まず、○○が嫌い、と言われているものの多くは経験と呼ばれるものです。貴城でさえ20年間積むことができた財産であり、
人生をかけて出会い、触れ、考えてきたものです。
誰かから話を聞いた、街で見かけた、偏よったメディアに触れた。すべて貴重な経験であり、優劣はつきません。その経験をもってして何かを嫌うことに何の問題があるのでしょうか?
 偏見とは客観的な根拠のない非好意的な先入観や判断、と言われますが、非好意的な先入観や判断に客観的な根拠があるものなどありません。
好意というのは正にしろ負にしろ誰かの主観から始まるものです。
漫然と”嫌われるもの”として存在するものなどないでしょう?
よって「偏見とは非好意的な先入観や判断」となります。
 先入観や判断 というのが経験からくるものであるというのは想像に難くないでしょう。○○先生のB講義は難しいだろうという先入観は○○先生のA講義に関する経験からくるでしょうし、地震が来たから机に潜ろうという判断を植え付けてくれた経験は脳裏に焼き付いているのでは?
偏見と呼ばれるものの多くは経験(測)と同義であり、経験とは人生をかけて積んだ財産であるから、それを否定することはその人の人生を否定することだというんです。
それをわかって、他人に「偏見やめろ」って言ってますか?という話でした。

なんでこんな話をしたかっていうと、ちぃと前にとある発言をした人が叩かれてたからなんですが、詳しくはまた今度ということで、、、、、、

すが、貴城の20年の経験上、話し合いに女性が参加していると話し合いは長引きがちです。
ご精読あざっした~誤字脱字衍字は対応しません


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