それってあなたの感想というか主観というか個人的な意見ですよね について

どーも=ーーーーーーーーーーーーーー
短気!ブス短足イエベ秋です! おなしゃーす!

ショートコント! ストレス

「ねえねえ犬の散歩いってくれた?」 
『あ、忘れてた。今から行ってくるよ』
「いまから行ってくるじゃなくてさ、何回目?」
『何がよ』
「犬の散歩忘れたの。6回目でしょ」
『そんな忘れてないよ~』
「あなたっていつもそう。なんでもかんでも忘れてへらへらしてさ」
『あー。そんなことよりさ』
「なに」
『これ、犬じゃなくて、僕たちの息子ね』
≪ぱぱー!さんぽいくー!≫






どうも たかしろ君です。
タイトル通り、今回はあなたの感想というか主観というか個人的な意見について、お話しして行こうとおもいます。

「それってあなたの感想ですよね」という常套句が流行りだしてはや30年
人間は自分の発言が、単なる主観にとどまるものか、そうでないものかを厳かに内省する必要に迫られました。
その結果増えたのが「これは私の主観なのですが」「個人的には」といったような前置きですよね。

問題はこの前置きの使われ方で、例えば
「これは私の主観なのですが、オムライスが好きです」
「個人的には明日は晴れだと思っています」のような使い方は、【おかしい】と、皆さんは感じますか?

そのおかしさ、というのは一言でいえば、そんなのお前の感想に決まってるやん、わざわざ言わんでええねん。です。

ここ数行の意味が分からない人のために分かりやすく書きますと、
;令和人類は明らかに自分の感想を言う前にわざわざそれが自分の感想であることを前置きするようになった。;ということなんですが、
これ、やってることテストの回答用紙に『これは僕が考えた結果なのですが』って全部書いてるのと同じなんですよ。それがおかしさであり、令和人類が無駄に抱えた生きにくさなんですね


これの原因はやはり「それってあなたの感想ですよね」にあるわけですが、令和人類はこれを『自分の感想をいうことは良くない』というニュアンスで解釈しているのでは?であるから、自分の感想を言うことに負い目を感じて、わざわざ前置きクッションを置いているのではないですか?
だとしたらそれは間違いです。そもそも、人間が話すのですから、なにごともおよそ主観であることから逃れられません。主観でないこと、なんてないのかもしれませんが、主観的要素をかなり省いた発言を強いてあげるとしたら、それは、”何かしらのデータをただ陳列するとき”に限られます。
「人間の指は20本である」といったような感じです(これも主観っちゃ主観。主観がどうとか言い始めたやつ4ね)
もともと「それってあなたの感想ですよね」というのは個人の感想を、さもこのデータの陳列かのように述べた人へのその混同を指摘する言葉です。

して、この言葉がその時クリーンヒットし、世間に流行った結果、「主観であることを指摘した」というニュアンスが独り歩きし、さも主観論を述べるものが悪であるかのような世論が出来上がりました。
しかし、人間の言葉あるいは会話なんてほぼ主観に決まっています。そこで失敗を恐れる令和人類は「これは私の主観なのですが」ということで、「それってあなたの感想ですよね」というお咎めを回避しようとしているのです。

お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが実は「これは私の主観なのですが」と言ったところで、本来の意であろうが、ニュアンスが独り歩きした方の意であろうが「それってあなたの感想ですよね」は回避できないんです。

本来の意→データと主観を混同しているなら、前置きをしたところでその事実は変わらないので可指摘

ニュアンスが独り歩き意→主観を主観と説明しているだけなので、「それってあなたの感想ですよね」に十分暴露される


ではなぜ、前置きが失敗の対策になっているか、というと、
普遍的な会話シーンでは相手の発言に眠る主観を指摘する必要がないからです。
前置きをしようがしまいが、その主観性が指摘されるような会話シーンなどめったにないので、前置きの有無にかかわらずだれもそれを指摘しない。ならば前置きがあったところで、前置きも主観性も同様にスルーされるのです。それを令和人類は「前置きのおかげで主観性を指摘されることを柔らかく回避できた」と誤認し、前置きを使い続けているということです。
失敗の対策というふうには前記しましたが、その失敗などというのは初めから存在しえなかったというわけです。


結論 
ただしゃべるだけなのにいちいち「これは私の主観なのですが」とか言うな。わかってるから。主観って、別に言ってもいいから。

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