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牛乳と人類の旅路

みなさん、こんにちは。牛ラボマガジンです。牛ラボマガジンでは「牛」を中心としながらも、食や社会、それに環境など、様々な領域を横断して、たくさんのことを考えていきたいと思っています。
今回は、私たちが普段何気なく口にしている乳製品と人類の長い長い付き合いの中で、その「長さ・時間」に着目して少し考えてみたいと思います。

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まず、私たちになじみ深い乳製品といえば、牛乳、ヨーグルト、バター、チーズの四種類が思い浮かぶのではないでしょうか。特に「牛乳(生乳)」、つまり無加工の乳は、今ではメジャーな存在です。ウシノヒロバのミルクバースタンドでも、新鮮な牛乳を使った商品を販売しています。しかし、実は人類史において、牛をはじめとした哺乳類のミルクをそのまま飲むという行為はあまり、いや、ほとんど一般的ではありませんでした。

生乳はその高い栄養価ゆえに、そのまま置いておくとすぐに腐ってしまいます。みなさんも傷んでしまった牛乳に覚えがあるのではないでしょうか。この「腐りやすい」という致命的な性質から、生乳はそのほとんどが保存食に加工されてきました。先述した四種類の乳製品のうち、牛乳以外の三種類(ヨーグルト、バター、チーズ)はいずれも人類が発明した偉大な保存食です。また、気候の関係から牛ではなくヤギやヒツジの乳を利用する地域も多くありました。過酷な環境では、牛よりも他の家畜のほうが元気に育つためです。

以上の理由から、生乳を生で飲むようになったのは品種改良や冷蔵輸送などの技術によって保存の課題がクリアされた、ここ100年程度の話なのです。

乳製品の起源にせまる

ここまでの話から「生乳をそのまま飲む」行為の歴史が浅いことはわかりましたが、それでは人類はいつから、どのように乳製品を利用してきたのでしょうか。そのことについて調べていく中で、人類と乳製品には、本当に果てしない知識と工夫の蓄積があることがわかりました。

まず、牛に限らず、動物から乳をいただく「搾乳」の起源に迫っていきます。「搾乳」の歴史は、その明確な時期がわかっているわけではありません。ここで、研究者平田昌弘の『人とミルクの一万年』(岩波書店 2014)から、搾乳の起源を推定する分析手法を二つ紹介したいと思います。

最初のアプローチは「図像学」によるものです。まだ文字がない時代の古い遺跡にある搾乳の痕跡から、「いつが起源であったか」はわからなくとも、「その時代に搾乳が行われていた」ということが読み取れます。少なくとも人間が文字を発明するずっと前から、乳製品は人々の生活とともにあったのです。

次のアプローチは「家畜化の時期から搾乳の時期を推定する」というものです。搾乳の詳細な開始時期は不透明な一方で、その家畜化の年代については、おおよそのところがわかっています。野生動物を家畜化すると、動物の骨格や群れの雌雄比に変化が生じるため、出土した骨を通じてその年代を把握することができるのです。

ここで、「谷泰(たに ゆたか)」という人類学者の学説を紹介したいと思います。谷は『牧夫の誕生』(岩波書店 2010)において、「家畜化の中で搾乳が生まれたため、家畜と搾乳の両者の時差はさほどない」という説を主張します。
そもそもミルクは母親が子に与えるためのものです。その大切なミルクを簡単に人間にわけ与えてはくれません。家畜のミルクを人間が手に入れるためには、子どもの姿を絶えず見せたり、子どものにおいを感じさせたりすることで、子育ての空気を作りつつ搾乳するといった、工夫が必要になってきます。そしてその工夫は、何らかの原因で哺乳できなくなった子どもにミルクを与えようとする過程で発見されました。

その仮説から歴史を考えると、家畜化および搾乳の開始は、ヤギやヒツジの場合で紀元前8000年以降、牛の場合で紀元前6400年以降だということになるそうです。

いずれにせよ、人類は少なくとも8000年もの間、家畜からミルクをわけてもらう営みを続けてきました。文字がない時代からずっと続いてきたということは、それだけ重要な営みであったということでしょう。

古代の人々と乳製品の関係

先述したように、乳利用の起源についてはその明確な時期がわかっていません。ですが、古代の遺跡や文献に残るエピソードから、乳製品と人々の具体的なつながりが見えてきます。

たとえば、前述した『人とミルクの一万年』によると、紀元前3000年代の古代メソポタミアのウバイドという場所の遺跡から、搾乳の様子を描いたレリーフ(装飾)が見つかっているそうです。これが本当だとすると、5000年前にはすでに乳搾りが行われていたということになります。さらに、紀元前2000年のエジプトの遺跡から見つかった壁画には牛の横に座って搾乳をする様子が描かれており、今とほとんど変わらない方法で搾乳が行われていたことがわかります。

(古代エジプトの遺跡で発見された壁画。搾乳をしている様子が見て取れる。)

また、インドでは、牛そのものと社会の結びつきの強さが見て取れます。仏教では、その開祖の釈迦が悟りを開くきっかけになったのが、「乳粥(キール)」だとされています。乳粥とは、牛乳に豆類を入れて煮込んだ甘いおかゆのことです。

釈迦は悟りを開くために過酷な苦行を何年も続けましたが、体を痛めつけるのみで一向に成果は現れませんでした。その効果に疑問を抱いた釈迦は修行を中断し、近くの川で身を清めます。そんな衰弱しきっている釈迦を村娘のスジャータが見つけ、乳粥を差し出します。この乳粥で活力を取り戻した釈迦は

「琴は強くしめれば糸が切れ、弱くても音が悪い。
琴は、糸を中ほどに締めて、初めて音色がよい」

というスジャータの歌から「中道」という思想に至り、ついに菩提樹の下で悟りを開くのです。

さらに、釈迦は牛と乳製品について

“牛は、父母、兄弟、親族と同じく、我々の最上の友で、牛から薬が作られる”
”牛はまた、私たちの食料、活力、美容、そしてさらには幸せの源である。このことを知り、彼ら(古代の僧)たちは牛を殺さなかった。”

出典:田邊浩司「今枝由郎訳 『スッタニパータ ブッダの言葉』 光文社 2022 より、296、297

として讃えています。

紀元前400年頃に編纂された旧約聖書においては、西アジアの地中海とヨルダン川、死海に挟まれたカナーンという地域が「乳と蜜の流れる場所」と称されています。カナーンは「約束の土地」とも呼ばれており、乳が当時から豊かさの象徴であったことが伺えます。

人類史を支えた牛乳について、いま一度考える

今回は、何千年にもわたる人類と家畜や乳製品の歴史を見てきました。そしてわかったのは、世界各国それぞれの場所で家畜や乳製品は大切にされ、途絶えることなく受け継がれてきたということです。
「受け継ぐ」ということの難しさは、受け継ぐ側であれ受け継がれる側であれ、誰しも一度は感じたことがあると思います。だからこそなおさら、高い栄養価と供給の安定性など、乳製品には受け継がれるだけの価値があったのだと再確認します。

また、人類はアフリカで誕生して以来、砂漠から極寒の地域、果ては高山まで過酷な環境に進出して分布を広げました。雨に乏しいアフリカの乾燥地帯では栄養素の六割を乳製品に頼る民族もいるそうです。乳製品をライフサイクルに組み込んだ牧畜が発達したからこそ、人類にとっての適正値を大きく超えた過酷な環境の地域での生活が成立したのかもしれません。

私たち千葉ウシノヒロバで育てている牛たちは、将来乳牛になることが決まっており、ほとんど運命を決められています。また、酪農という産業自体が環境へ与える負荷の問題を抱えており、アニマルライツやエコロジーの観点からも、さまざまな意見があります。しかしウシノヒロバの活動は、牛と牛を育てる人間が二人三脚となり、一万年に及ぶ人類の酪農史を受け継ぎ、牛乳が飲める生活を現在進行形で支えているということでもあります。

千葉ウシノヒロバとしてももちろん環境問題には向き合わなくてはいけません。ですが、同時に、先人たちが作り上げてきた偉大な歴史を大切にしたいという気持ちもあります。簡単に答えが出るような問題ではありませんが、これからも学び、考え、悩み、いまの時代に生きる私たちだからこそできることを探していきたいと思います。

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(執筆:鈴木大空朗、編集:山本文弥)