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ラブホの正社員7日目

ホワイトデーの起源をご存知だろうか。バレンタインデーのお返しとしてマシュマロやクッキーを売りたいお菓子業界がマシュマロデー、クッキーの日など様々な名称や日程でそれらのお菓子を売り出していたが、1980年頃にそれらが統合されてホワイトデーが誕生したらしい。

つまりは日本お菓子メーカーによる陰謀である。ラブホテルもこの日はその陰謀に支配されていた。客が退室した後の部屋にはプレゼントの包み紙、いいものが入っていたであろう空き箱など様々なゴミが散乱していた。汚い字でハートまで添えたピンクのメッセージカードを見た時は、内容を見てすらいないのになぜか気の毒になってしまった。まあそれはゴミ箱に乱雑に突っ込まれていたのでどっちが可哀想だとも言い難いのだけど。ホワイトデー、覚えている限りでは28の部屋の清掃をしたのだが、印象に残っていた部屋を思い出して7日目の内容にしていこうと思う。

砕け散った恋心、とでもいうべきだろうか。501号室の部屋には群れから一輪になった花が散らばってアートを成していた。誰だったかな、芸術は爆発だと言ったあの人の言葉を借りるなら多分これは芸術と呼べる爆発だろう。元の花束に刺さっていたであろう原色ピンクのメッセージカードは現場に残されたダイイングメッセージのような不気味さを醸し出し、視界が歪んだ。美術の授業で初めてシュールレアリスムを見たときの違和感、図書室にあった楳図かずおの漂流教室を手に取って熱心に読み漁った時の焦燥感、そういったものが頭の中に一気に流れ込んできて処理できなかった。そのくせベッドも風呂も使ってあるんだからカオスだ。この部屋に在室していた際にどんな心境だったのかは想像できない。

部屋の状況もさることながら、気になったのは本命のプレゼントの行方だ。花束を用意するような人間が花束で贈り物を完結させるはずがない。そう思ったのだがプレゼントは部屋にはなかった。見たわけではないが、きっと本命のプレゼントだけを持っていって花束は床に投げ捨ててしまったのだろう。いつもこういう自分の道徳と外れたものを目の当たりにした時、人間は恐ろしいなと思う。

これを読んでいるみなさんは、ホワイトデーをどう過ごしていただろうか。恋人と過ごしたり、友達と遊んだり、仕事をしていたり様々だろう。僕はカップル達の喘ぎ声をBGMに忙しく客室の清掃をしていた。そんな中で捨てられたり置き去りにされたプレゼントを見るたびに、愛がなくても身体を重ねられるし喘ぎ声は出るのだと痛感した。

気持ちが裏切られ蔑ろにされたとしてもセックスはいくらでもできる。そう考えるとセックスは人間の営みの中で一番虚しいものなのかもしれない。最近はセフレを作ってそれだけの都合の良い関係を築く動きが目立つが、その関係に悩んで僕のところにDMが飛んできたりする。そんな人は元々都合のいい関係を目指していたんじゃなくて、本当は愛を享受したいのに先に身体を許してしまって苦労しているのだろう。

人間はプレゼントを捨てるぐらいには不義理でいい加減な生き物だ。愛を感じてから色々な事を始めても遅くないのではないだろうか。例えばそうだな。半分にしたケーキの大きい方を自分にくれた、とかさ。

甘いもの食べさせてもらってます!