
"SDGs"が親世代のおもしろワードだった話
「食べ残すなよ、SDGsなんだから」
大晦日、紅白の前に父と2人で外食しているとき、山盛りのサラダを前に半笑いの父がそう言った。あのときの父は完全に「ウケを狙いに来ている」表情をしていた。
嘘だろと思いつつ聞くと、どうやら会社の飲み会ではウケるらしい。我々大学生からすると耳にタコができるほど聞いた"SDGs"は、もう目新しさのない単語である。少なくとも「面白ワード」の引き出しには入っていない。いわば手垢のついた表現。
本当に会社の飲み会でウケているのか、にわかには信じがたかった。百歩譲って笑いが起きていたとしても、他の社員の苦笑いと愛想笑いがこだましているだけだと思っていた。
モヤモヤを抱えたまま年が明け1月の1週目、一足先に実家に帰省していた母と祖母、そして父と僕の4人で寿司を食べに行った。「もうお腹いっぱいだからこれ食べていいよ」と祖母からホタテを渡されると、隣で父が「SDGsなんだから食べろよ」と言った。
もうやめてくれ。反応するのも面倒で何もなかったかのように箸をホタテに伸ばそうとしたその時、笑いが起きた。父と同年代の母、そして寿司屋の大将までが「そりゃそうだ」みたいな顔で爆笑している。決して作った笑顔ではなかった。
あっけにとられる僕、そしてぽかーんとする祖母。"SDGs"を使い古した大学生と、"SDGs"に耳馴染みのない70代。ちょうどその間に位置する50代だけが、"SDGs"を面白ワードとして認識していたのだ。
世代を超えて笑える事象などないことを知った。音楽や流行なんかよりも、深刻なジェネレーションギャップは笑いだ。忘れもしない、あのときの「ほら見たか」と言わんばかりの父の顔を。
今度50代の方とお話する機会があれば、"SDGs"をおもしろワードとして放り込んでみようと思う。滑っても半分は父のせいにできる。フレーズを使った僕だけでなく、創り出した父にも責任がある。
SDGsの12番は、「つかう責任 つくる責任」だそうだ。
