"コロナ世代"の僕たちがどうせ言われる言葉たち
もう目に見えている。「これだからコロナ世代は」と言われることが。社会の荒波にいま漕ぎ出そうとする僕たちの船の帆には、太字のゴシック体ででかでかと「コロナ世代」の文字がはためいている。間違いなく分類されるときのレッテルはそうなるだろう。人なぜか分類したがる習性があるのだ。
我々2000年生まれは「〇〇世代」をうまく潜り抜けてきたはずだった。と言うのも、例えばゆとり教育は小学4年生で終わっているため「脱ゆとり期なんですよねえ」と言えた。また、「さとり世代」の定義は1980年代から2004年生まれらしいがボリュームゾーンは1990年代生まれという印象が強い。一方で、「Z世代」は天下のTikTokを最重要視しているもう少し下の世代を指している。我々の世代において縦画面で踊っているのは先進的な奴らだけである。
本来であれば「ミレニアムベイビー」という輝かしい称号のみを手に社会に飛び込めるはずだった。しかし、そうは問屋が卸さなかった。「大学を卒業し社会人になる時期にコロナ禍だった世代」略して「コロナ世代」の枕詞を押し付けられてしまった。
こうなってしまったからには、辿る末路はゆとり世代と同じだ。ことあるごとに、人生の大先輩方による伝統芸能「これだから〇〇世代は」を肌で感じなければならない。
かなり誇張が入った。これをやってきたら世代がどうとかじゃなくただユーモアのないおじさんである。ここまではいかずとも、最初3つくらいは本当に言われる気がする。仕方ない、伝統なのだから。ご存じだとは思うがこの伝統芸能、続けて「我々の時代は全然違ってなあ…」がつく。様式美とはそういうものである。
これだけ先手を打っておけばなにを言われても「あ、あれだ」と受け流せるだろうか。実際言われたら腹が立ってしまうのだろうか。そもそもこんなnoteを書いていること自体もなにか言われそうだな。「これだからコロナ世代の文章は下手で見てられないんだよ。何を伝えたいのかがわからない」。おっしゃる通り、ぐうの音も出ません。