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自分の顔は好きじゃないけどボロボロの店のお好み焼きは美味しい

唯一の誇りは「視力」

日本全国で顔面偏差値トーナメントが開催されたら、僕が地方大会初戦でコールド負けを喫するのが早いか、この時代にそんなものを主催した運営が叩かれて大会中止になるのが早いか、どちらだろう。決して卑屈になっているわけではないが、自分の顔で誇れる部分は未だにコンタクトを付けずともシエンタの3列目からナビの文字を読める視力の良さだけである。左右反転の自分の顔を観察できる「鏡」という存在を知ってからここまで約20年、「結構いけるじゃん」と思ったことは一度もない。

 勘違いしてほしくないのは、だからといって落ち込んだことはないし、将来億万長者になろうとも整形に金をつぎ込むつもりなど毛頭ないということだ。一昨年鼻中隔の歪みをなおして通りを良くするために「鼻の手術をする」という旨を周りに伝えたら「整形か!?」と何度も言われたが、今更鼻を弄ったらなにかが変わるとでも思っているのだろうか。浅はかである。

「外見」「金」「中身」

 さて、タイトルの「お好み焼き」の意味をそろそろ説明していかなければならない。むかし顔面偏差値の高い友人が、「周りの人が外見を褒めてくれるのは嬉しいけど、顔だけを目当てに近寄ってくる人がいると思うと周りを信用できなくなる」とほざいていたことがある。そのときは「持ってるヤツ」特有の贅沢な悩みだと思っていたが、数年の時を経て1つの自論に辿り着いた。

 人が他人と仲良くなろうとする時、その理由は大きく3つに分けられる。外見、中身、そして金。外見については友人の話の通り、中身はいわゆる「話が合う」というやつ、金は説明不要だろう。金持ちの周りにはいつも人がいる。

 僕は「外見」もないし、学生なので「金」もない。と、なるとだ。消去法で、いま僕と仲良くしてくれている人は、程度の差はあれど少なからず僕の中身になんらかの価値を見出してくれているということになる。なんとも嬉しい話ではないか。負け惜しみでもなんでもなく、外見や金目当てで人が寄ってこないがゆえに感じられる喜びである。もう一度言う。負け惜しみでもなんでもない。

夢は「お好み焼き屋」

そんな僕の理想こそ、「下町のぼろぼろのお好み焼き屋」なのである。煌びやかな店構えもなければ、充分な設備も整っていない。魅力的な外見や豪華さが欠けていても、味は間違いないので客は絶えない。これを人間に例えると、「こいつ見た目は別に良くないし奢ってもくれないけど、なんか面白いな」と思われる存在だろうか。「持ってないヤツ」として生まれたからには、ここの立ち位置まで上り詰めてやろうと鼻息を荒げている。安心してほしい。鼻中隔の手術のおかげでしっかり鼻息が荒げられる。

 つらつらと書いたが、今夜夢のなかにランプの魔人が現れて「明日からお前の顔を竹ノ内豊にしてやろう」と言われたら首がもげるほど頷き、応援団のような声で「はい!!!!」と叫ぶだろう。下町のお好み焼き屋の店主も、ランプの魔人に言われたら新品の鉄板ともっともらしい筆字で書かれた高級感のある看板を望むはずだ。


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