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槇文彦『記憶の形象』筑摩書房、1992年


日本モダニズム建築の巨匠、槇先生によるエッセイ集です。1960年代から1990年代の間に書きとめられた40あまりの文章が集められています。

「形象」とは、「かたち」の意。「かたち。すがた。美学で、対象を観照(想像)して心の中に浮かび上がる、その対象のすがた。」の意味だそうです。

「かたち」に対応する英単語として、form, shape, figure, imageなどあります。それに対し、「形象」はむしろ哲学の一分野としての美学で使用される用語で、単に視覚的な客体としての「かたち」にとどまらず、心的イメージが伴うところがミソです。谷川渥先生の『形象と時間』や、佐々木健一先生の『美学辞典』の「かたち」の項などで、このあたりの問題が詳述されていた気がします。


『記憶の形象』にもどると、どの文章も、建築そのもののように静謐かつ理路整然としていながら、くつろいだヒューマニティを湛えています。読むことの快を満たし、悦楽を届けてくれるので、ついつい読みふけってしまう。モダニズム建築の時代を体験として通りぬけてきた巨匠のかたちの記憶を、読者は美しい文章を通じて追体験できるからでしょうか。

この本のテーマとして掲げられているのは、「都市」です。

「もしもこの本の内容を貫く大テーマが一つあるとすればそれは<都市>にほかならない。この不可解にして魅力的な対象は私を一生虜にしてきたのであった。」(p. 6)

都市とは、不可解にして魅力的な対象。

それってどんな都市なんだろう、と考えます。地球上の人口の大半は「都市」に住まっている、とはいえ、この本でうつしだされる「都市」のイメージは、槇先生自身が何度か言及されている東京の山の手地区の風景であるのだろうな、と思います。

そこで、いきあたったのが、エッセイ「明治の美ーー三田演説館」です。

「三田演説館を訪れたのは五月(一九七五年)の初め、薄曇りの午後であった。たまたま春闘のゼネスト中とあって人影もまばらで、丘は深く美しい緑に包まれた静寂の場そのものであった。『三田評論』編集長土橋氏の案内で西南隅のほうへ向かっていくと、一きわ生い茂る木立の中に演説館が建物の東面を正面にひっそりとした佇まいを見せている。」(p. 557)

IMG_9025 2のコピー



ここで書かれている「三田演説館」とは、港区三田にある慶應義塾の三田キャンパスにある演説館をさします。福沢諭吉先生が建造し、明治8年に開館した日本最初の演説館で、重要文化財に指定されています。キャンパス南端部の稲荷山と呼ばれる高台に位置します。

内部は、滅多に入ることはできませんが、建物の周りには近づくことができます。1995〜97年にかけて改修が行われ、わたしの学生時代は、割合に綺麗な状態でした。ひそかなランチスポットのひとつとして、藪蚊と闘いながら、コロニアル風なまこ壁の外観を眺め、幻の門の前にかつてあった木村屋のサンドウィッチを食べていた記憶があります。


演説館 断面図1


国土地理院の断面図をみると、演説館をふくめた三田キャンパスが、敷地外の道路に対して岬のように屹立していることがわかります。

小さな大学都市(cité universitaire)としての三田キャンパスの、その端部で、鬱蒼とした木立に囲まれた演説館は、かつての東京、山の手の面影を残しています。ローマやパリにみられるヨーロッパ型の「都市」は、のっぺりとした開発地ではなく、川や、丘や谷の起伏など、自然の地形を大きくとりこんでいます。そう考えると、「都市」(cité )とは、きっと生命的な主体なのだろうな、とぼんやりと思います。

演説館は、ディスクールの場として、西欧古典の文脈でも、大学都市のイコンとしてそこにあります。単体としての建築が、都市のありかたを凝縮させているのかもしれないと思います。

演説館は大学を卒業してからとんとご無沙汰しているので、曽根・中条事務所(+中村順平?)の旧図書館とともに、世の中がすこしおさまったタイミングで、天気の良い日に出かけてみようかと思います。


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