アントニオーニの時代:『欲望』1966とジェーン・バーキン(中編)
2023年8月に亡くなった映画批評家アルド・ベルナルディーニ先生は、1960年代半ばの自著の中で、アントニオーニが、ジェーン・バーキンを主役と発表していたと記述していました。
他所で同様の記述を見たことはない、というより、一般に手に入る範囲の書物で『欲望』公開当時のアントニオーニが「ジェーン・バーキン」に言及した記録は見かけたことがないので、わたし個人としては、すこし意外でした。
そもそもアントニオーニが自身の映画作品に好んで採用してきたのは、演劇学校出身の舞台俳優でした。アントニオーニの演出方法は現代演劇的なインプロヴィゼーションを多用していたのも、ローマの演劇学校出身で舞台俳優として出発したモニカ・ヴィッティとの成功によるところが大きいように思われます。
実際のところ、『欲望』においては、ヴェルーシュカのようなトップモデルたちが自身の役で登場しますが、それをのぞけば、他の登場人物の多くは舞台経験のある若手俳優でした。俳優があくまでプロフェッショナルとして存在するシェークスピアのお国柄なのでしょうか。レッドグレイヴ先生が『欲望』におけるエニグマティックな役どころをなんなくこなしているのも、そうした背景抜きには語れないとも思います。彼らが演劇学校で、専門的な訓練をして演技経験の幅をもち、またインプロヴィゼーションを好んだアントニオーニの演出を受け入れなじみやすかった、というのがあったと思われます。
例外としては、アントニオーニの長編デビュー作「ある愛の記録」1950など、最初期のルチア・ボゼです。このひとは、ウィキによれば、故郷のパン屋で働きつつ、ミス・イタリア受賞後にいくつかの映画出演するまで演技経験はあまりなく、アントニオーニ映画の主演でスターの仲間入りをしたようです。スクリーン映えする長身のすらりとした立ち姿が魅力的でした。
(ルチア様、コロナ禍で亡くなられたようですね。ご冥福をお祈りします)。
と。このあたりで終わればよかったのですが。
真の問題は、映画公開とともにおしよせます。