映画試写会:ポランスキー「オフィサー・アンド・スパイ」
5月某日、都内の試写会にでかけました:
ロマン・ポランスキー「オフィサー・アンド・スパイ」2022
ロマン・ポランスキー監督による2019年初公開の新作。
フランス、ゴーモン社製作による歴史大作映画です。日本国内は、6月3日から全国映画館で公開中。
フランス近代史上、最大の黒歴史とみなされることの多い「ドレフュス事件」を題材としています。
1894年、ユダヤ系フランス人であるアンドレ・ドレフュス大尉(ルイ・ガレル)が無実の罪を着せられて終身刑を宣告され、ギアナの孤島、悪魔島に収監されます。
物語では、事件の真相を知った元上官のジョルジュ・ピカール中佐(ジャン・デュジャルダン)が主人公に据えられているところがみそで、元々反ユダヤであったピカールから見たドレフュス事件、事件調査の経緯、そしてドレフュス自身の人間像が語られ、最終部にいたるダイナミズムがミステリー映画の真骨頂となります。
冒頭で、ドレフュス大尉がエコール・ミリテールのモルラン広場で軍籍を剥奪されて、膝で剣をへしおられる場面がありますが、これは「フランス人ならみんな知っている」ような、大河ドラマ的場面のようですね。
その後、軍部の機密部門の責任者となったピカールが、幽閉されたドレフュスを救うために奔走するみちゆきが、当時のあまたの資料をもとに詳細に描かれます。ドレフュスは最終的に、放免となり、パリにもどって軍籍に復活し、ピカールに会いにゆき物語は終焉します。
ドレフュス収監をめぐり、エミール・ゾラが新聞紙上に掲載した「私は告発する」記事でドレフュス擁護を明確にするなど、革命後のフランス社会で様々な論争を巻き起こしました。事件の背後では、反ユダヤ、軍部と貴族、ジャーナリズム、階級、独仏関係など、革命後の19世期フランス社会に内在していた様々な地平を浮き彫りにする事件です。
とはいえ、ヨーロッパにおけるユダヤ問題について、日本人として真に理解するのは個人的にはなかなかに難しくも感じます。
たとえば岸惠子先生のエッセイなど、ユダヤ系フランス人家庭に嫁いだ日本人としての立場から、「ユダヤとはなにか」をとうた点で、いま読み返しても興味深いです。
『ベラルーシの林檎』1993は、パリに移住してまもない頃の岸先生が、偶然、女友達のひとりであるニコルが、ドレフュス大尉の孫娘であることを知ったことから、物語は開始します。
「祖父」としてのアルフレッド の素顔や、家族の苦悩を聞きおよび、それをきっかけに、女優としての仕事をからめながら、中東や東欧を訪れる旅に出ます。中東もアフリカもヨーロッパも地続きであることを実感させる、岸先生の壮大なみちゆきです。
他者の文化を知る興味とはなにか、ということを考えさせられます。
かたや、ロマン・ポランスキー監督。1933年生まれの88歳。
フランス在住のユダヤ系ポーランド人で、毀誉褒貶がありますが。
いかにもポーランド映画っぽい「水の中のナイフ(1962)や若きカトリーヌ・ドヌーヴ「反撥」の(1965年),フランソワ・ドルレアックが可愛い「 袋小路」(1966年)、なさけない感じのポランスキー出演作「吸血鬼」 (1967年),そして傑作「ローズマリーの赤ちゃん 」(1968年)などなど。
初期のポランスキー作品は、完璧に統制された精緻で美しい画面と、不穏、不安をベースとする世界観が、どれも強烈でした。
「オフィサー・アンド・スパイ」は、完全な歴史考証をベースに大量のエキストラを動員する大河ドラマ。
フランスの正史を正面から描く今回の歴史大作は、ポランスキーにおいては、「戦場のピアニスト」など、アメリカ脱出後の歴史路線に数えられます。近年の作品は、一見すると、ポーランド映画的(?)な私的苦悩を描く初期のアウトサイダー路線とは、だいぶ変わったな、、という印象も受けなくもないですが。
題材を変えても、ミステリーの構造を通して、自分の映画的ミクロコスモスを完璧に統制支配したいという、おそらくアドリブを許さないであろう、強烈な欲望や、それよりも、映画の主旋律として流れる、個人の精神的な不穏、不安を執拗にえがききるところは、変わらず、鑑賞者のこころを刺激してやまない所以だな、とも思います。
というより、88歳でなおも新作を発表のパワフルさは映画監督ならではなのかな、、とも思うゆえん、かもです。