『ヴェルサイユの宮廷庭師』 2014とアンドレ・ル・ノートル先生
アンドレ・ル・ノートル。
ある日、ふいに、その名前と顔が頭に浮かび、
離れなくなりました。
いわずとしれた、フランス庭園史上最大の巨匠です。
17世紀のブルボン王朝フランスにおいて、国王ルイ14世のもとで、ヴェルサイユ宮殿をとりまく広大な庭園の設計をお手掛けになられました。
幾何学的な屋外空間は、絶対王政の象徴的空間となります。フランスはヴェルサイユを起点にして世界に誇るペイザージュ文化を築きあげたとも言えるかもです。
誰もが憧憬するル・ノートル先生(たぶん)。
そんなル・ノートル師匠を夢想しつつ、庭園映画みたいなのはないかなあ、と勝手なことを考えて検索したところ、BBC制作による英国映画を見つけました:
『ヴェルサイユの宮廷庭師』A Little Chaos, 2014
アラン・リックマン監督
ケイト・ブランシェット主演
名優リックマン先生、「ハリー・ポッター」シリーズのセブルス・スネイプ役でお馴染みです。2016年に亡くなられましたが、この映画では監督兼俳優として、ルイ14世役も演じられています。
ちなみにアンドレ・ル・ノートルを演じたのはベルギー出身の俳優マティアス・スーナールツ先生です。
この映画、ヴェルサイユ宮殿の庭園造営をめぐり、展開します。英国で作られたのも、英国式庭園の先駆としてのフランス式庭園に対する文化的関心でしょうか(適当です)。
劇中において、ルイ14世から新たな王宮の庭園設計を任されたアンドレ・ル・ノートル先生、しかし、あまりの広大さに手一杯となり、協力者を募集することにしました。そして、紆余曲折ありながらも、フリーの女性造園家であるサビーヌ(ケイト・ウィンスレット先生)を施工者として雇うことにします。
控えめでハンサムなル・ノートル先生と、堅実な仕事ぶりながら理想の実現を夢見てたくましく生きる美しいサビーヌは、職業上の信頼関係を超えた恋を発展させていきます。
原題のA Little Chaos(小さな混沌)には、人間と自然、order(秩序)とchaos(混沌)は調和可能か、などという不可能な問いかけが重ね合わされているようにも見えます。
ヴェルサイユ宮殿という真に政治的なプロジェクトに対し、ル・ノートルは、王権を中心軸とした空間的秩序の構築を完成させていくものの、庭園をとりまく自然環境や人間関係は混沌を極めていく。
リックマン監督は、不毛のヴェルサイユの地で、泥だらけになりながら敷地の造成、植樹、治水を行う近世の職人たちの姿を克明に再現しており、BBC制作らしい見応えのある画面づくりに目が離せなくなりますが…。
…とはいえ、ストーリーのほうは、ツッコミどころ満載というか、観客の一定数が抱いたであろうモヤモヤポイントが、英仏のウィキペディアのまとめられていました:
1.アンドレ・ル・ノートルが若すぎる!問題
映画の時代設定はヴェルサイユ完成年(1682年)前後。ル・ノートルがヴェルサイユの仕事を開始したのは1661年頃。
→ヴェルサイユ完成当時、ル・ノートルは70歳前後であったはず。マティアス・スーナールツ先生演じる庭師の容貌はせいぜい30代半ば程度。
→そもそも、リックマン演じるルイ14世は老人で、ル・ノートルは30代後半くらいの容貌だが、実際は逆であり、ル・ノートルはルイ14世より25歳年上であった。
2.17世紀に女性造園家が存在したのか?問題
主人公のサビーヌは完全に架空の人物。
→とはいえ、この時代にヴェルサイユの造園実務を実行でき、経済的に自立した、女性の造園家の存在は知られていない。縁故が中心のこの時代に、ル・ノートルが、はたして王宮の仕事を無名の女性造園業者に依頼するだろうか?
日本には傑作「ベルサイユのばら」もありますし、史実との差異がフィクション映画の価値を無条件に減じるとは言えないと考えています。
いや、むしろ、制作側が、なんでソコまでしてヴェルサイユにこだわったのか、なにゆえに、アンドレ先生が恋愛物語の主人公にしなければいけなかったのか?、、という悩みが、ごく矮小なわが心に浮かんでは沈みます。
ここでヒントとなりえるのが、脚本家の言葉です。
本作を構想し、脚本を執筆したアイルランドの女優、アリソン・ディーガン先生は、アイリッシュ・インディペンデントのインタビューに対し、本作脚本の書かれた経緯について詳細に語っています。
A Little Chaosの完成上映から遡ること17年前。
3人の子育てに追われていた若き母アリソン先生は、内心では、はやく仕事復帰したいなあ、と思っていましたが、女優業は子育てとの両立があまりに大変でした。
そこで。脚本家の夫からの影響があったのかわかりませんが、「家でできる仕事を始めたい!」と考えたアリソン先生、末っ子の授乳をしながら、ヴェルサイユの庭師たちの物語を書きあげて、有名俳優リックマン(父がアイルランド出身)に送りつけます。素敵な庭師ル・ノートル役を、リックマン先生に宛書きして。
リックマン先生、ヴェルサイユ映画の制作に俄然乗り気となり、積極的に動こうとしますが、、ほどなくしてハリーポッター出演が決まり、多忙を極めるようになります。
それでも、アリソン先生はあきらめず、粘ります。こうして、17年を経て映画完成に漕ぎづけます。
17年の間に、気づくとリックマン先生は60代後半。30代のイケメン庭師では無理があるので、貫禄十分のルイ14世役を演じることになります。そして、1997年に「タイタニック」に主演したケイト・ウィンスレット先生も、構想当時はサビーヌ役としては若すぎましたが、17年で役にふさわしい女性に成熟したようです。
ともあれ、仕事復帰を果たしたアリソン先生が、架空の造園家サビーヌに、社会を逞しく生き抜く現代女性の姿を託したことは想像に難くないです。
それと同時に、インタビュー中では、彼女自身が、小さい時から、ヴェルサイユの物語を色々と読んでいた、と発言していることは示唆深いです。
思い出されるのは、ヨーロッパ女子たちのヴェルサイユ、庭園への憧憬です。
個人的な話で恐縮ですが、パリ郊外の都市計画学校に留学していた頃、名門ヴェルサイユ・ペイザージュ学校出身の先生(男)が、出張講義をしにやってきました。
この若きペイザジスト先生、金髪に青い目の王子様的キラキラ系ルックスでした。そして、「ヴェルサイユ」を連呼しつつ、僕たちヴェルサイユのペイザジストは、アンドレ・ル・ノートルの末裔ですから〜(フフン)、、、的なことを宣っており、その崇高な語り口を前列を占めていたフランス女子学生たちが目をハートにさせて仰ぎ見ていた、というわたくしの記憶の中の光景は、極東アジア人の脚色にすぎる嫌味な妄想にすぎないでしょうか。
いや、ともかく、あの光景を思い出すたびに、やっぱりヨーロッパ女子にとって、ヴェルサイユの庭師は恋のプロトタイプなんだろうな、という偏見がよぎります。
そう考えれば、映画の中で、ル・ノートル先生は30代半ばの金髪イケメン庭師でなくてはならないし(そしてルイ14世はちょっぴりエグい感じ)、サビーヌは美と有能さと性格の良さを兼ね備えたワーキングウーマンでなくてはならないのです。そして、ふたりは仕事を全うしながら、不幸な過去をのりこえて、最後に恋を成就させる、というのが、少女たちの逞しい集合的夢想であるのかもしれません。
そうしないと、女子たちは自己肯定できませんからね。
アリソン先生が、サビーヌに託した恋の物語は、あくまで17世紀ヴェルサイユでなくてはならなかった点に、フランスの庭園文化の奥深さを感じますね。。
どうでもいいですが。
ちなみに、かつて留学中、晩秋のある日、悶々とチュイルリー公園を歩いていると、突如、目の前に、アンドレ先生の銅像が目の前にあらわれたことがありまして、ル・ノートル先生に取り憑かれたのはそれ以来でしょうか。。