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フロン・ポピュレールとヴァカンス法:フランス総選挙によせて(1)

七夕の真夜中のことです。
世界の各所が選挙の夏をむかえました。
日本では、カオスな都知事選が終わり、人々が眠りに着いた後、
1万キロの時空を隔てたフランスでは、総選挙の結果が出ておりました。

フランス総選挙。
議会下院の決選投票の結果は、おおかたの予想がくつがえされ、左派連合である「ヌーヴォー・フロン・ポピュレール」(Nouveau Front populaire 、新人民戦線)が最大勢力となり、極右政党「国民連合」が第三勢力に沈んだことは、報道にあった通り。
おおまかにいえば、マクロン大統領率いる与党への不満を募らせつつも、極右の政権奪取はくいとめるため、市民は一丸となり、フランスの良心を守りぬいたのである、という感じなのでしょうか。

なんともフランスらしい顛末だなあ、と思います。Vive la France! という感じ、でしょうかね。その後の混乱はまだまだ続くみたいですが。
それはともかく。

個人的にびっくりしたのは、左派連合の名前が、Nouveau Front populaire (ヌーヴォー・フロン・ポピュレール、新人民戦線)であることでした。

「フロン・ポピュレール」!
この歴史的、象徴的な名称の再登板に、ついつい、目が釘付けになりました。

今回の総選挙の決選投票における「ヌーヴォー・フロン・ポピュレール」は、極右化をはばむために、2024年6月10日に、選挙対策で結成された左派連合です。
日本語では「新人民戦線」。

その歴史的なオリジンは、「フロン・ポピュレール」にあるのは、ほぼ明らかです。
日本語だと「人民戦線」ですね。

「フロン・ポピュレール」。
1936年にフランスで、レオン・ブルムを首班として選挙に勝利し、政権を担った左派連合内閣の名称です。

1933年にドイツでヒトラーが政権をとるなど、第一次世界大戦後の欧州で台頭しつつあるファシズムに対抗するかたちで、左派政党が「人民戦線」として連合し、1936年のフランス総選挙に勝利し、ブルム政権が発足しました。
第一世界大戦後の欧州情勢を背景とする、フランス近現代史の有名な一幕です。


2024年の左派連合がこの歴史的で特権的な名称を掲げたことに、フランス市民よ、われわれは、過去にあったファシズムの過ちをふたたび繰り返してはならないのだ!…と、強くよびかける決意と意思、そして危機感があったのかな、と、勝手に思っています。

とはいえ、「フロン・ポピュレール」の名称が、ここまで(?)ポピュラリティを帯びる(とわたしが勝手に考える)のは、、「フロン・ポピュレール」といえば、なんといってもその本質が、「ヴァカンス法」にあるからではないかと思うからです。

「ヴァカンス法」は、フランス学生が、フランス史を学ぶなかで、もっとも愛する政策。
すくなくともわたくしの留学生時代は、そうでした。

ふいに、思い出すのは、都市計画研究所の授業のふとした瞬間に、担任のフランス人先生とフランス人学生たちが和気藹々とかわしていたやりとりです:

(先生)「1936年に成立したフロン・ポピュレール内閣の目玉政策は?」
(学生)「ヴァカンス法!」
(先生)「ヴァカンス法の都市的効果は?」
(学生)「すべての労働者が2週間の有給休暇の権利が与えられ、大衆向けのツーリズムが誕生し、都市郊外間の交通が発達ました」
(先生)「…そう、ヴァカンス法はフランスのアイデンティティなんだよ!」

極東留学生はポカンと口を開けて眺めていただけで、厳密な議論の詳細はわかりません。たぶんこんな感じだったかと思います。(ちがうかも)

そう、ただ、確かなのは、フランス人の先生も学生たちも、「1936」「レオン・ブルム」「フロン・ポピュレール」「ヴァカンス法」の言葉を口にしながら、興奮と嬉々で目を輝かせていたことです。

フロン・ポピュレール!
ヴァカンス法!
夏だ!海だ!恋をしよう!

ノリとしてはこんな感じ、でしょうか。
授業自体は冬だった気もしますが。

ともかく、そう考えれば、2024年の選挙でも、7月というヴァカンス期間の入口に、意図的に、ヴァカンス法を象徴する「フロン・ポピュレール」の名称を持ってくるというのは、すごいな、と思いました。そこに勝利しかない、と短絡的に確信してしまう、極東人の甘い見定めは、もうヴァカンスの虜なのかもしれませんが。。

思い込みバリバリですみません。

(続く、たぶん)


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