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SNSでの誹謗中傷を「チェンマイ的思考」で考えてみた

はじまり

ちょっとドキドキすることがあった。
2024年8月4日(日)、いつものお気に入りのカフェで、何人かのブロガーさんが書いたすんばらしいカフェ記事をまとめさせていただく、という大変だけど超楽しいアイデアを形にしていたところ、問い合わせ用に開設した公式LINEに、DTV(デスティネーション・タイランド・ビザ:通称ノマドビザ)の問い合わせが来た。
正確に言うと、少し前に問い合わせがあったけれども答えられずにいたところ、催促が来た。「してもらえないんですか?」と。

世話好き?いろいろやりたがり?ただ好きでやってるだけ

中の人ICHI-SANをご存知の方なら、私がなんやかんや世話好きで、人に何かをさせていただくのが好きなおじさんだ、ということはご存知だろう。その私の性分に火がついた。
カフェまとめ記事を書きながら、マルチタスクおじさんの本領発揮。Facebookのタイビザ関連の最近の事例を挙げて、スクショを撮って、その和訳もつけて、丁寧に説明したつもりだった。しかし、結果としてちょっと信じられない反応が返ってきた。
それについてのポストがこちら。

Xで公開私刑してしまった懺悔

被害者意識が咄嗟に働き、「何でも屋じゃないです」というマイナスな反応をしているし、「言葉の暴力反対」と言いながら、「この方の名前はおさえている」と、なんなら本名さらすぞ、みたいな脅迫じみた気持ちも出てしまっている。
そして「現地採用にもまともな人はいる」と、まるでこの人が現地採用だからダメな人、というような決めつけをしてしまっている。
これを公開することで自分を正当化し、彼を貶める「私刑」を実施してしまっていた。それをここに懺悔する。

絶対的正義などない

見方を変えると、一番酷いのは自分ではないかと思ったり思わなかったり。自分が絶対の正義なんてことはない。彼が正義ではないのと同じように、自分も正義ではない。そして、彼が悪いと決めつける人たちも、正義ではない。
「正義」という概念そのものも、存在すら危ういものだとさえ思う。

現地採用とは

タイにおける「現地採用」とは、ごくごく簡単に言うと、タイに進出した日系企業などが、日本で雇用した人材をわざわざ送り込むより、タイに住んでいる人間を雇ったほうがラクだし、費用・給与も安く済む、ということから長年タイで行われてきた人材募集の方法である。
自分も現地採用上がりで、いろいろな人を見てきた。中にはただただタイに居座りたいがために、ビザをもらえる現地採用枠に滑り込んで、ちょっと勤めたと思ったらすぐ他の会社にぴょんぴょん飛んでいくような人も見かけた。
そうした人たちとは自分は違う。能力も高いし、英語もできるし、タイ語もできるし、ちゃんと仕事をする。なんなら駐在員より仕事できるやつになってやる!みたいな気負いと片意地張って仕事に励んでいた。
そのうち、体を壊して一度は全てを捨てて日本に逃げ帰った。

そう、私は逃げてきた。よく知ってるな?

ほぼ1年リハビリに費やし、なんとかタイに戻ってきて、奇跡的にチェンマイで仕事をさせていただくようになった。
コロナ禍になり、どこにも行けなくなった。その中でも別の道を探す。コロナが終息しロングステイが復活したら、チェンマイは再注目されるに違いないと思って、チェンマイに関する情報サイトを立ち上げようと、仲間と考えた。
そうやって立ち上げたのが「チェンマイ情報ステーション」。彼の言うとおりだ。あの時仕事からもタイからも逃げてきたからこそ、今の現状(原文ママ)がある。

「チェンマイ情報ステーション」は神の啓示

この名前は自分でつけたものではない。下りてきたのだ。
もともとは、ドメイン名である「オリエンタル・チェンマイ」という名前が再有力だった。ドメインを取った後に、ほとんど神の啓示と言ってもいい閃きが下りてきた。興奮した。
仲間に「オフィシャル感も出るし、チェンマイの情報を繋ぐ駅のようなイメージ、報道ステーションっぽいし!」みたいな説明をした記憶がある(笑)

とにかく、サイトを開設してから3年が経ち、いろいろな問い合わせの中に、この彼のようなちょっと残念なことを言ってくる人もいる。
先ほどのポストにも、私に同情するような声が多いけれども、その一つに自分でこうした答えをした。

人の失敗を、可愛いとさえ思う

そう。怒りや憤りよりも、滑稽さを一番感じたのだった。
最初に本名を明かして問い合わせをしてきているにも関わらず、思うような回答を得られない、自分の思いのままにならないと急に言葉を荒げてきた彼のことを思うと、なんだかちょっとウマーみたいな変な気持ちになり、自分の怒りや憤りを素直に表現できている彼のことを、なんだか昔の自分を見ているようで可愛いな、とさえ思った。そうした反応をする自分自身にも驚いた。

逃げてきた、その自分をも愛せる。

もう人生50年生きてきた。いろいろと間違いを犯した。いろんな人を傷つけた。自分を傷つけた。死にかけた。

でも、生き延びた。

誰も教えてくれない自分の道。それは自分で切り拓くしかない。
間違いがあっても、ミスを繰り返しても、それはいずれ自分の道を作るための「経験」になる。
全ての選択は、全ての言動は、その時の自分にとって糧になるものだったこと。そう思える日が来る。

私に言葉を荒げてしまった彼。きっと何かから逃げてきたのだろう。
昔の私の姿が、彼から透けて見えて、まるで自分のようだな、と投影したのだろう。
もしかしたら、彼は私なのかもしれない。
私が作り出した幻想なのかもしれない。
そうとさえ思う。

フワちゃん、炎上中

そして、フワちゃん。
詳しいことは書かないが、芸能人である彼女は、別の芸人さんのXのポスト・ポジティブな言葉に対し、それとは真逆のからかうような、それどころか傷つけるような表現をしてしまっていた。
「裏垢」つまり自分の名前を出さず、自分の闇の部分を表現し、人を傷つけるようなことを書いてストレス解消をしていたとも推測される。

それに対しても誹謗中傷が引き起こされてしまっていて、人を傷つけたことが特大ブーメランとして彼女自身に返ってきている。

この二つの事象を並べてみると、やはり人間って面白いな、神様って誰に対しても公平に、全てをフラットにしてくれるんだなぁ、と改めて思う。
彼らの学びは、私の学び。

我が事のように思う、それが学び

関係ないように見えて、全ては繋がっている。
自分に起こることは全て、自分が起こしたこと。
そのように思う。

さて、昨日書き上げたカフェ記事。とても面白い。自画自賛。
ぜひ読んでほしい。

チェンマイのカフェ記事

面白いのは当然で、素敵なブログを書く人たちの良い記事を集めたものだから。
ただ集めるだけでは芸がないので、書いた方のご紹介や、紹介されたカフェのABC順のインデックスを作成した。
自分でこれを見て、Aから一つずつ行ったことのないカフェを訪れようと思う。

あれ?なんか誹謗中傷とかされてましたっけ?
もう忘れたw マイペンライ♪ 許した

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