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【#01】 『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』

SPBS(渋谷)で本を買うときはいつもジャケ買いだ。著者でありイラストレーターでもあるはらだ有彩さんの表紙イラストが可愛かったので、シリーズで2種類面陳になっていた内の左側をフィーリングで購入した。

昔話の女の子を超おもんぱかる新感覚エッセイ

昔話と言っても、高校の古文の授業で習うような「日本書紀」「今昔物語」、もしくは地方に伝わる伝説的な物語からの引用が多い。なので引用されている元の物語自体の記憶も曖昧で、あらためて噛み砕いてあらすじを説明されると「へー、そんな話だったっけ」とそれだけでも新鮮だ。

本書は20の昔話の引用と、そこに出てくる『女の子』のキャラクターやその時の気持ちを深堀りするエッセイの組み合わせで構成されている。
これは私も前から思っていたのだけど、昔話の登場人物たちはちょっと事情が察しにくい奇抜な行動を取ることがある。急に何かに変身するとか、急に都から離れて山にこもるとか。原典では「なんでそんなことしたの?」について細かく掘り下げたり、時系列で心情の変化を追ったりするものは少ない(あるいは時を経て私たちの読解力が追いついていないのかもしれないが)。

「昔話って突飛な行動する人いるよな、そういうものかな」と流してしまっていた部分を、本書の著者はしっかり立ち止まって、女の子の気持ちになって考える。『行動には意志が伴う』という考えが根本にあるのだと思う。だからこそ、著者は特に「本人の意思決定なしに」「個人の好みや考えを踏みにじって」何かを強制させれる場面と出会うと、当事者の女の子と一緒に怒る。ちゃんと、とっても怒ってくれる。
そんな風に一緒に怒ったり、そんな男やめとけよって思ったりしているうちに、昔話の女の子たちが自分の友だちのような気持ちになってくるから不思議だ。

「超生きる」、「生きづらさ」の話

物語の中の女の子たちは、名もなきただの「女」とか、名前があっても「美女」とか「誰々の妻」とか、記号的に扱われることが多い。だけど著者と一緒に「おもんぱかって」行動や考えを読み解いていくと、一人ひとりすっごく個性的で生きるエネルギーや感情が豊かな人物像に思えてくる。
ふと、現代の小説やマンガ、映画、物語でこういうバリエーションのキャラクターに出会うことが減った気がした。「商業的に受け手の理解・共感を得やすくすため」の記号化が大きいのだと思うが、「モテを意識した打算的な女の子」とか「バリキャリ」とか「不器用だけどひたむきな女の子」とか、ある程度体系的に分類できそう。そして物語の消費者である私自身が、記号化されたキャラクターを見て「私はこの子のタイプと近いな」「この子とはキャラが違うな」と自分の体系的な置き場を見定めていく。その往復運動の中で固定化されていく

話は変わるが、仙台の手相占い師に見てもらった時に「あなたは女の皮をかぶって生まれてきた武将だから」と言われたことがあり(“両手ますかけ”なのです)、実は私自身その「キャラ設定」を結構気にしているし、気に入っている。でも実際の私は武将じゃない。武将キャラで生きてみたいけど、今やったらパワハラって言われるんだろうな。せめて男だったらもう少し武将っぽく生きられたのかな。だいたい武将キャラって何なんだろうなとか真剣に考えたことはある。
病院の助けを必要としたり生活が困難なほどの「生きづらさ」から少し意味を拡張して、「我慢できるけど違和感がある」とか「考え方が違うことを表明できない」とかも含めると、正直言って今日いまの瞬間も結構生きづらい。やるべきことが多すぎて自分が何者なのか忘れちゃって、思い出せない日もしょっちゅう。もしかしたら「武将」という本性を受け入れたら「超生きられる」ようになるのかな。武将になったことないから知らんけど。

期待とヤバい女の子

一番私に「刺さった」のは古事記/日本書紀からの引用の「アマテラスオオミカミ」の話
(エピソードは本文のほうがもっと面白いので本書を読んでほしいのですが)太陽神として世界を照らすことを仕事にしているアマテラスが、自分の判断ミスのせいで取り返しのつかないことになってしまいふさぎ込んで引きこもる。でも世界としては出てきてもらわないと困るので、他の神々がアマテラスを引っ張り出すために一芝居打つ。その時最後に言われたとされる「あなたよりももっと尊い神が現れたので、みんなあなた抜きで盛り上がってますよ」という優しい嘘にぐっときた。
自分をアマテラスオオミカミと比べるなんてスーパーおこがましいが、きっとアマテラスも真面目な人だったんだろうなと思う。世界を照らすという機能は自分にしかできないから、みんなを困らせたくないし自分の役割を果たさなきゃって思うから、頑張ってる。「そんなことできるの貴方だけだよ」「やっぱり貴方がいないと暗くて困るな、みんな頼りにしてるよ」そういう『褒め』や『労い』をいつももらっていたのだろう。ありがとう、わかってるよ、引き続き頑張るよ。としか言えないじゃん。
そんな責任感の強いアマテラスが、それでも糸が切れて引きこもってしまった時に、「大丈夫。あなた抜きでもみんな盛り上がってるから」と言ってもらえた話は、純粋にいいなぁ、うらやましいなぁと思った。私が最近欲しかった言葉はこれだったような気がする。もしかしたらアマテラスも私と同じように勝手に背負い込みすぎるタイプなのかも。
まさか古事記の神様に共感する日が訪れるとは思ってもいなかった

ちなみに、最後の2つの山姥のエピソードも読みながらちょっと泣いた。後半のほうがエモめのエピソードが多くてドラマチック。「女の子」を題材にしているけど、通して全然フェミ感は無いです。

源氏物語の女の子たち

実は本書と出会う前、昨年の6月に手伝っていた舞台「令和源氏オペレッタ」も、偶然似たような切り口で物語を捉え直した舞劇作品。

源氏物語に出てくる、葵の上、紫の上、六条御息所。昔話ほどと違って紫式部により情緒豊かな和歌がたくさん綴られているので感情の機微が見えやすいけれど、それでも光源氏を中心に据えたストーリー構成を分かりやすくするために、省かれた女側の『意志』があるのでは?もし令和の現代に彼女たちがいたらどんな行動が選べる?と考えてつくられた物語だ。
今年6月に第二作目となる「Secret GardenⅥ 〜令和源氏オペレッタ Re:〜」の公演が決定。主宰/作演出の中村インディアと「この時六条が生霊を出したのって、きっと嫉妬じゃないよね?」「何と戦ってたんだろうね?」と会話しながら、6月に向けての準備をしています。
今もし六条御息所や葵の上と女子会できたら。「そんな男(光源氏)なんてやめときなよ。でも好きになっちゃったなら仕方ない…振り回されるだけじゃなくて、ちゃんと自分の気持ち伝えてきなよ!」と後押しできたら。時を超えて友達になれそうな気もしてくるから不思議だ。

是非、源氏物語の女の子たちにも会いに来てください。
令和源氏オペレッタ特設サイト
Secret Garden公式Twitter

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