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世界は日の出を待っている
昨日、細野晴臣さんのラジオを聴いていたら、こんな話をしていた。
「今、77歳で、最近同世代が亡くなっていく。
やっぱり、考えちゃいますね。
バンド仲間はすでに(亡くなって)居ないし、孤独。
でも、忘れられてはいないみたいだから、
もうちょっと頑張れるかなと思ってます。
でもね、時間ないです。」
と。
聴いていて、少ししんみりする。
次に、
「残された時間で、やりたいこと、みんなやらなきゃ」
みたいなことを言うのかな、と、想像するわけですが。
ここで晴臣さんが言ったのが
「だから、ゆっくり休もうかな」
だった。
しんみりが一瞬で吹き飛んで、大笑いしてしまった。
この人の、こういうところがなんとも、大好きなんだよなぁ。
この話の後で、流された音楽も、とてもよかった。
Les Paul & Mary Ford の
”The World Is Waiting for the Sunrise"
邦題は、「世界は日の出を待っている」
いろんなことが起きて、いろんな気持ちになって
楽しかったり悲しかったり、いろいろだけど。
結局、「世界は日の出を待っている」
朝陽はのぼる。
人類はその姿を今日も、迎えうるのだ。
シンプルに、ただそれだけなんだなと思うと
カラッと笑って、朝布団からすっきりと出て、1日がはじめられる。
今日もこの世界で、いろいろ感じてやろう。
味わってやろう。楽しんでやろう。
そんな気持ちにさせてくれる。
「生きろ」とか「楽しめ」とか
たくさんの言葉で一生懸命説得されるよりも
たったひとつの音楽。
たったひとりの人の、ただ在る姿。
この説得力。
犬だとか、ただ生きようとする動物の姿にも、似たような説得力は感じる。
でも、この説得力を、人間や、人間が作りだすものに感じられたとき。
うわーーーーっ。
という気持ちになる。
愛という概念を、人間が生み出したこと。
人間として生まれて、生きてこれたこと。
人間が人間たる、その醍醐味。
そんなあたりに、思いがけず触れられた気がして。
うわーーーーっ。
となる。
胸が震える。
熱が身体から滲み出す。
この説得力。醸し出すには。
天性の才能。
もしくは人生そのものに対する、その人の熟練度のようなもの。
その人が、「ただその人である」ことに対する熟練度。とでも言おうか。
そんなものによって、顕れ得る気がする。
これから先も、もし長く生きていけるのなら、どうせなら、ゆるやかに静かに、熟練していきたいものだなと思う。
愛する人たちが勝手に嬉しくなったりするくらいの、ただの私で在りたいものだ。