見出し画像

結婚

悶絶する。
あまりに美味しくて。


長く長く続く、やさしい余韻。


その香りや甘みや旨み、コクなんかは、

舌の上や鼻腔から感知されて脳幹を突き抜ける。


思わず、目を閉じる。


噛み締める。


味わう。味わう。
味わう・・・・



なんて官能的なんだろうと思う。
思考が溶けていく。
身体に入っていた力がほどける。
力が入っていたことに、気づくこともできなかったような、ほんの僅かな力でも、この至福感の中ではほどけて、それでああ、力が入っていたんだなと、気づく。


オールドビーンズのキリマンジャロで淹れた濃厚なエスプレッソ。
片瀬の名和菓子店、一菓さんの大福と一緒にいただく。


辛い。

この幸せを、今、この瞬間、一人で全部、余すところなく一人で全部、享受しつくなさなければならないのが、辛い。

辛いのと同時に、やっぱりとてつもなく、幸せだ。




約束を交わさなくても
契約で固めなくても
熱に浮かされた幻想を頼りにしなくても

ただ出会って
それぞれに素晴らしい両者が自然と

だけど必然的にかけ合わさって


唯一無二の、
新たなる素晴らしさが生まれる。


そして、共にありながらも
それぞれが自分の中心へ向かい

変わり続ける両者から
新たな素晴らしさが、生まれ続ける。


それが、
本物の結婚てやつなんだろうな。


そして実際、私が経験したことのある結婚は、いいものだった。

一緒に過ごして、一緒に生み出した。
安心して捧げ合った喜怒哀楽が輝く、豊かな生活があった。


その中では、とてつもなく愛らしく、素晴らしく賢い二人の娘たちまで生まれた。


結婚は、本当にいいものだった。

そんな想いを私の中に残してくれた元夫には、今でもとても感謝している。
そして、今世どう頑張ってもひっくり返らないほど愛している。

結婚式で、私に愛を教わったと、彼は話していた。

だけど実際、私のほうこそ、彼に愛を教わったんだなと感じている。



どちらか一方でも、「自分に向かい続けること」をやめたとき。

出来事を、他者や外界の所為にし始めたとき。

結婚は、成立しない。
解散を迎えるのかもしれない。



また彼と一緒に過ごすことがなくても。

自分の大切な人生の営みを、新たに生み出そう、作り続けようと、思わせてくれるほどには、彼と一緒に過ごした時間が今も私に与え続けてくれている「生命の原動力」は、途方もない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?