見出し画像

自己紹介 ~社会人で学び直し~

キャリアコンサルタントのちあきです。前回は、#はたらくってなんだろうの記事を記載させていただきました。今回はその前に記載していた自己紹介の続きを記載したいと思います。前回は社会人前編のお話をさせていただきました。今回は社会人編の続きを記載をしたいと思います。


前回「脱サラ」をした私でしたが特段なにもやることは決まっていませんでしたが「フリーランス」的な感じでスタートしました。この時の意気込みとしては自分が得意なことをすべて組み合わせて生きていくぜ!でした。

新卒で勤めていた会社を離職した理由の一つに「副業禁止」がありました。実は私は当時社会人ながら結構精力的にバンド活動をしており、ライブでの物販や音源の売り上げがありました。当時の会社からは「そのくらいならいいけれど趣味程度にとどめておいてね(副業に抵触しない程度にほどほどにね的な)」というお達しを受けていました。

まだ若かったので、「よっしゃー!会社員として時間を割いていた約8時間分をアーティスト活動に充てられたらバカ売れ間違いなし!」くらいに思っていましたが、世の中そんなには甘くありません。技量を磨かないと厳しいと実感していました。「女の子で若いうちはいいよね~」と許容されていた部分がある自覚があり、へたくそな技量を向上しないと通用しないと実感していたからです。

そして何より「女の子でこれくらいできたらいいよね」と言われるのが本当に嫌いでした。男だからとか女だからとかそんなのどうでもよくて自分が納得できるかできないかだと思っていました。

そんなこんなで、会社を辞めてすぐに8歳くらい年が下の子達と一緒に音楽の専門学校に通っていました。当時の学校の先生たちが私の熱意を買ってくれて2年制のところの1年分を2年間かけて会社在籍中の夜学と土日で補ってくれ、残り1年分を会社を辞めた後に補完した形となります。なので、大人になってから2年制の専門学校を卒業しています。

もちろん学費は自分が捻出。

「専門学校」とひとくくりにしがちですが、種類がいくつかあります。

大きな分類として、認可校と無認可校です。

無認可なんてどうなの?って思う方もいるかもしれません。私の通っていた専門学校は今現在は認可校(2018年度からだったと記憶)ですが、私の時は無認可だったからこそ先に書いたような融通がきいたんだと思っています。

ここで分かりにくいので両者の違いをお伝えしておきます。

認可校と無認可校の違い

認可校とは、公的機関から設置認可されている学校です。

専門学校の場合、私立は都道府県知事、公立は教育委員会、国立は文部科学大臣が認可しています。

認可校の主な設置基準

・授業時間:年間800単位時間以上、夜間の学科は年間450単位時間以上
・修業年数:1年以上
・施設:原則的に、自己所有(特別な事情のある場合を除き、賃貸施設は不可)
この他にも、教職員の資格や条件なども細かく定められています。

無認可校は、学校教育法に基づいた認可を受けていない教育施設です。公的な保護がない代わりに、設置にあたって法的に拘束されることもありません。

主に関係があるのは「学歴」の問題で、認可校を2年以上の過程を終了し、1700時間以上の単位を取得していれば、「専門士」の資格が与えられて2年制短大卒と同じとなります。
しかし、無認可の専門学校は学歴として認められないため、履歴書などに学歴として記載できません。専門学校卒とはならず、高卒のままとなります

・・・・・と言われていますが、正直書いても大丈夫です。「学歴」としてはみなされませんが、。「その間なにをしていたのか」がわかるので「なーんにもしてない」と思われるくらいなら書いた方がいいでしょう。

私の場合大学を既卒ですので、学びたいことが学べれば学歴はあまり関係なく、よいので融通が利いた方がありがたかったです。

しかし、無認可の方が来るもの拒まず去るもの追わずみたいなスタイルなので「この学校卒業したぜ!」って言っていて実態が伴っていない本当は幽霊学生だけど卒業資格持っている人というのが存在するのでそこは何とも言えませんが・・・。

さて。社会人で学びなおしをする方、今増えてきていると思うのですが、私が学びなおしをしていた頃ってそれはまだ主流ではなくて「変わったやつ」みたいな感じ。

先生は私と同世代とか下手するとちょっとだけ年下みたいな先生もいらっしゃいましたしね。でも、ここでの学びが私の中でとても貴重で、自分よりも10歳近く年が離れている子と友達であることが当たり前になったし、自分よりも年が下の人から学ぶことって本当にたくさんあるって若いうちに知れた。このことがとてもプラスでした。

そんな感じで1年間ガチ学生をやりました。なんなら映画館も学割で見に行ったし、ラーメン屋の学割ラーメンを食べてました笑。しかし、私の職務経歴書ではこの間は学生とはなっておらず、どのような経歴になっていたかといいますと、通信制高等学校の非常勤講師をやっていました。

専門学校生をやりながら高校の講師をやらないかい?

実は、このライフスタイルは、通っていた専門学校からの提案の一つでした。びっくり驚き提案でした。本当に24時間じゃ足りない生活をしていました。しかし、ある程度の生活を担保しながら学費を払い、生活する上ではこの上ない状況でした。

「行きたかったけど年を取りすぎてるからなぁ」とか

「職務経歴に穴をあけることは将来的にも痛手だから諦めるしかないかな」

「もうアラサーだし周りも結婚とかどんどんしていて焦るわぁ」(これはあんまなかってけど。そもそも20代で結婚するなんて考える余裕もなかった)

とか。そんなこと思っていた私に「やるならこのタイミング以外一生ないでしょ!」と思わせたそんな提案でした。

私が通っていた当時は学歴は義務教育終了で入れる仕組みになっていて、様々な生徒が年齢問わず通っていました。中卒、高卒、高校中退、高専卒、高校中退、大学卒業してすぐ入る人、私みたいな社会人経てくる人など。その為、中卒で入ってきた人向けにとある通信制高校と連携していて、きちんと高卒資格を取れる仕組みを構築していました。

私が教員免許を持っていたこともあり、その通信制高校の窓口の方を紹介いただき、非常勤講師として働きながら専門学校で学ぶという二重生活を1年経験しました。

正直体力的に超絶きつかったです。

当時のタイムスケジュールを記載すると・・・

A.M.9:30から確かP.M.16:30とか日によっては15:00くらいまで講義やら実技やらが詰まっていて、17:00からさっきまで生徒だったのに先生になって理科を教えてる感じでした。あとは、自分のカリキュラムが無いときは通信制高校で時間割入れられてて講義があるみたいな感じでした。

非常勤講師なので夜枠の授業があるわけではなかったので夜枠が無いときは18:00開始とかの塾でアルバイトも併用していました。塾が終わるのがだいたい22:00くらい。

そこから翌日の実技の練習や課題があれば課題を終わらせ就寝。だいたい寝るのは1:00が早いほう。下手すると3:00近かった。

この時の経験はもう今の年齢ではできないと思います。

専門学校を卒業し、もう1年間は同じ通信制高校で働きながら独立して音楽活動や、ミュージックスクールの講師と併用しながらまさに脱サラした時の初心を貫き、「自分の好きなこと、得意なことを組み合わせてがむしゃらに生きていく!」を実践していました。

しかし、そんな矢先にある出会いとある資格の取得、そしてひょんな2つの募集が私の人生をまた大きく動かしました。


ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?