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自己紹介  ~10代の私~

キャリアコンサルタントのちあきです。

この度皆さんと一緒に今後のキャリアを考察する場としてnote公式アカウントを立ち上げることにしました。これが2回目の投稿です。

まずは簡単に自己紹介をさせてください。

今後やりたいことに繋がる為ちょっと昔の話も入り長くなりますがお付き合いいただけましたら幸いです。

1.小学生の時

小学生の頃は「こどもチャレンジ」をやっていたので学校の授業を一切聞かなくても(ダメ)学校の勉強は上の下くらいの成績でした。小学校の授業は聞かなくても理解が可能で先生から嫌われる存在だったでしょう。

そんな私の当時の将来の夢は『薬剤師』でした

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ひどいですね~。いや、祖母から言われてなんとなくみたいな感じだったと記憶しています。

2.中学生の時

私の中学校は当時部活動は私の1個上までは強制的に部活に入部しなきゃいけなかったんです。私の代からは「帰宅部でもいいよ」と言われていた世代でした。

中学校に入学したばかりの頃の私は「みんながそうするから」とか「仲のいい友達がどこに入るか聞いて」みたいに割と人に合わせて行動するタイプでした。(今とは真逆!)

引き続き授業は聞かないけど面白いことや人と話をすることが好き。特技だったんでしょう。話しながらでもノートは作成できて板書は完璧にノートに書いてあってノート提出はOK。

それで休み時間にはみんなの防災頭巾を集めて笑点の大喜利ごっことかしてました。そんな私の当時の夢は「ラジオ局のDJ」でした。

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当時バンギャだった私は机にそのバンドの写真をカラーコピーして縮小したものを貼っていました(笑)←先生に嫌われそうなことを選んでやってる。。。

そんな私は放送委員会に所属し、放送室で自分の好きな曲をこっそり聞くみたいな感じでした。たまに調子に乗って放課後クラスのラジカセでCDをかけて没収されたりしてました。

継続して授業を一切聞かない癖がついていましたので学校の成績は下降線。自分の成績大下降に気がついたのは中2の2学期の中間テストの頃でした。小学校の頃に同じくらいの学力だった同じ部活の友人にテストの結果を聞かれたときでした。普通に「これくらいだったよ~」と言うと

「え!?今回たまたま悪かったんだよね?」

と言われました。その一言ではっとしました。自分的に中学にあがってからいつもより良かったんです。

ちなみに中学校の成績は理科が一番群を抜いて悪かったです。

(数学もダメだったけど)

その為、5科目受験である公立高校の受験ではなく3科目受験の私立高校をターゲットにしました。中2の夏にギリ我に返って頑張った結果、なんとか私立高校なら自分が行きたい学校を受けてもいい学力まで持ち直しました。

とはいえ、授業は聞かない習慣は維持されてました。学校という場所で子供的に急にキャラ変するのは本当に難しい。

ここでポイントです。

イメージが最低すぎて内申点が悪く学力に見合う公立高校を受けさせてもらえない。

そして、行きたい学校(私立に絞られた中で)を受けたのですが志望校受験の日にとんでもない腹痛に襲われ1教科目の国語全くできずで撃沈。その高校以外に行くビジョンを全く持てていなかった私はどこでも一緒だわと思い、第二志望の学校の願書を取り下げて第三志望の高校に進学します。
とはいえ、第二志望と第三志望って順位付けできてるじゃない?って思うかもしれませんが、これは単純に偏差値で決めていたものでしたので、興味なかったんでしょうね。
第二志望の学校の受験日が遅くモチベーションが下がったこともあったと思います。


2.高校生の時

15歳にしてひねくれ気味の私でしたがある先生の一言で人生が変わります。当時の数学の先生の授業でしたが、一番最初の授業が始まる前にみんなに目を瞑ってくださいって言った後に、「数学が苦手な人は手を挙げてください」と言われました。

私的に理科が一番苦手でしたが、数学も次にダメだったので当然ながら手を挙げました。その時先生がこう話しました。

「中学の数学と高校の数学は全く別の学問なので新しい勉強だと思ってこれから授業を聞いてください」はい。それでは目を開けて教科書を開いて・・

この話で真面目に聞いてみようとスイッチが入りました。

みるみるわかるようになり、その結果高2の文理を決める選択の時は「どちらでもいいよ」という言葉の元、理系を選択。なぜ理系を選んだかって?

当時好きだった人が理系にするって言ってたから!←←え?

理系に進学。中学時代を知る人は皆が驚きました。

しかし、ここでさらにひねくれていた私はスイッチがおかしな方向に入り、「皆がわからないとか難しいって言っている学問できるのかっこいい!」

・・・と思った結果、高校生的に皆が難しいと言っているのは物理だと思い極め始めます・・・・。

ちょうどその頃、放送委員会愛しすぎている私は高校でも部活にも委員会にも所属。委員会はもちろん放送委員会。

そして高等学校スピーチコンテストに出場します。県大会に出場した時に

審査員にボロカス言われました。批評欄の一つが本当にひどくて「声質がアナウンスに向かない」でした。いや、声質って変えられなくない?っていうか優勝したやつのスピーチとかわざとらしくないか?

そんな理由でラジオのDJの夢を諦めます。夢を失った私はこの頃既に人生を変えてくれたのは高校の先生だったと思っていたので科目は特に決めず、高校の教員を目指すことにします。高校の先生から「理科の教員が足りないから狙い目だよ」というまさに「現場の生の声」を聴いた私は理科の教員免許が取得できる大学に絞って志望校を決定しました。

その頃に受験科目の理科のメインを何の科目にするかという時に物理にするからよろしくお願いしますと言おうと物理の先生に話したところ、

「学校の成績は物理の方がいいけどたぶん化学の方が君は得意だよ。」と。その言葉をきっかけに化学に絞ります。しかし元来理系ではないのでしょう。得意だったはずの数学でしたが、数Ⅲができなすぎて大変。

薬剤師になりたいって言っていたなって思いだしてそっちも考えたりしました。しかし私の頃はちょうど薬学部が4年制から6年制に切り替わる過渡期で倍率が異常。(年齢がばれそう)うっかり浪人したら6年制になる可能性がありそもそも6年大学に行くのは家的にNGでした。そういった社会的要因もあり、初心を貫きました。

うっかり合格可能性が模試で20%だったはずの大学に合格。これには驚き、合格通知を見たときにリビングで驚きすぎてひっくり返って頭を打ちそうになったと記憶しています。

中学で理科が平均点以下だった私が理学部化学科に進学します。

ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。続きは今度書きたいと思います。







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