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デミアン 第六章「ヤコブの戦い」

 タイトルの「ヤコブの戦い」とは、どういう意味?
ということで調べると、ヤコブは、双子の兄のエサウと仲違いをしており、決心して兄に会いに行くと、川の手前で、天使と相撲をとることになる。一晩相撲をとり続けて、とうとう天使に勝ち、「イスラエル」と名乗ることを許される。その天使は、神と兄が与えた試練だった。という旧約聖書のエピソード。(かなり端折ってしています。)カインとアベルも兄弟だし、兄弟仲悪いね、どちらさんも。

で、この章のあらすじは、
 その後、前章で知り合った年長のオルガン奏者ピストーリウスとの親交を深める。
「私は彼によって習得したもっとも重要な点は、自分自身への道を一歩進めたことである。」
そして、彼はこう言う。
「われわれの見る事物は、われわれの内部にあるものと同一物だ。われわれが内部に持っているもの以外に現実はない。大多数の人々は、外部の物象を現実的と考え、内部の自己独得の世界をぜんぜん発言させないから、極めて非現実的に生きている。それでも幸福ではありうる。しかし、一度そうでない世界を知ったら、大多数の人々の道を進む気にはもうなれない。シンクレール、大多数の人々の道はらくで、僕たちの道は苦しい。──しかし、僕たちは進もう。」

 もう一人、逆にシンクレールに近づいてきた一人の同級生クナウェルがいた。心霊、魔法、禁欲という彼独自の切り口でシンクレールに問いかける。彼は、性的な夢に苦しめられているというが、シンクレールは自分には助けられないと告げる。クナウェルは、失望し、憎悪を向けて、去っていった。それから四、五日後の夜中、不安に駆られて、街を彷徨い、引き込まれるようにある建物に這入って行った。そして、そこで自殺しようとしているクナウェルを見つける。
「さあ家へ帰り給え、誰にも何も言わないことだ。君は間違った道を歩んだ。間違った道をだよ! 僕たちは、君の考える様に、豚じゃない。僕たちは人間だ。僕たちは神々を作り、それと戦うのだ。神々は僕たちを祝福する。」と諭す。結局、その自殺は未遂に終わり、クナウェルはシンクレールにその後も、弟子の様に執着したが、シンクレールの方もその交わりを通して、教えられるところはあった。だが、のちに、クナウェルはシンクレールから離れて行った(ある意味、卒業だろうか)。

 その後もピストーリウスへの傾倒は続いたが、ある時、シンクレールはピストーリウスの見識に対し、「古本くさい」と暴言を吐き、彼に自身の夢を語るように促した。しかし、その言葉は彼を深く傷つけ(つまり、核心をついてしまった)、恩知らずな弟子は指導者を追い抜き、再び孤独を生きることになった。シンクレールはいよいよ自身の額にカインの印があることを自覚し、自己の内面に意識を向けていく。キリスト教やキリスト教圏の外側に真理を求めたり、新たな価値観で世界を認識することの不毛さを確信した。

「各人にそれぞれ一つの役目が存在するが、誰にとっても、自分で選んだり書き改めたり任意に管理してよいような役目は存在しないということを悟ったのだ。新しい神々を欲するのは誤りだった。世界になんらかあるものを与えようと欲するのは完全に誤りだった。目ざめた人間にとっては、自分自身を探し、自己の腹を固め、どこに達しようと意に介せず、自己の道をさぐって進む、という一事以外に全然何等の義務も存しなかった。」

<<感想>>
この章で、いよいよ、シンクレールの「個性化の過程」は、進展を遂げる。それには、指導者・先輩としてのピストーリウスと、生徒・後輩としてのクナウェルが必要だった。
この章で、シンクレールは、自分をカインの末裔だと認識するが、カインの末裔は、フリーメーソンのような秘密結社ではない。大多数の人々とは違うという共通点はあっても、それぞれの「自己」は異なり、目指すべき到達点は違う。ヒントにはなっても、回答そのものは、与えられない。個々に孤独である。
また、それは、大多数の人々とは違うといっても、進む道が違うだけで、優れている訳でも、劣っている訳でもない、ただ、違う道だというだけだ。
半世紀前、この本(デミアン)を読んだとき、この二人の人物は、脇役としかその存在を捉えられなかったけど、今回、読み直してみて、この二人に「転移・逆転移」のメタファーを感じる。シンクレールは、ピストーリウスへの転移から抜け出し、クナウェルの逆転移にも距離を置いていた。ただ、それは、孤独を覚悟しなければならない道であったが・・・「指導者が私を捨てた。自分はまったくやみの中にたっている。自分はひとりでは一歩も歩けない。助けてくれ!」とメッセージをデミアンに送ろうとするのを堪えた。この途は、孤独を引き受けなければならない、それが、この章のテーマかと思う。共依存状態と言う魔の入口もあるし・・・
また、クナウェルの自殺を思いとどまらせた夜の出逢いは、ちょっと違うかも知れないが「共時性」シンクロニシティという、ユング心理学の用語も思い出した。どうでもいいけど、シンクレールとシンクロニシティ似てる。


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