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デミアン 第四章「ベアトリーチェ」

 私(シンクレール)は高等中学進学のために故郷を離れ寄宿生活に、デミアン一家も旅立った。私(シンクレール)はデミアンに対して憧れを抱く一方で、禁止された世界の暗部と向き合うきっかけを作った彼を秘かに恨んだ。高等中学では、周囲に陰険で変わり種の男だと思われ、孤独な生活を送る。外部との関わりを拒み、自分の心の中に潜り込むことを望み、そうしているうちに周囲の人間を見下すようになる。

 学校の勉強はそこそこに、自らを誘惑者だと嘯く先輩アルフォンス・ベックに誘われるままに居酒屋の常連となり、自己破滅的な酒飲み騒ぎや猥談を繰り返し、「暗い世界と悪魔の仲間」になっていった。
孤独の反動から、自己顕示欲の誘惑に負けてしまったかのように。私(シンクレール)は世間を軽蔑しながら、自身を貶める生活を送った。

 学校が休みに入り、故郷に帰省していたは思いがけずデミアンと再会した。私(シンクレール)は学生の飲み方に親しんでいることを示そうと、デミアンを料理店に誘い大袈裟にぶどう酒を注文した。

 デミアンはそんな私(シンクレール)に対し
「放蕩者の生活は神秘主義者になる最上の準備の一つなんだ。聖アウグスティヌスのように予言者になるのは、いつもそういう連中だ」
と言い。心得たように、私(シンクレール)を見て
「君の生命を作っている、君の内部のものには、それがわかっている。われわれの内部に、すべてを知り、すべてを欲し、すべてをわれわれ自身よりよくなすものがいる、ということを知るのはきわめてよいことだ──だが、失敬、ぼくは帰らなきゅならない」
と言って別れを告げた。

 青年期らしい性欲と向き合う時期になった。そんなとき、公園を歩く一人の少女が目にとまり、女性を知らず奥手な私(シンクレール)は話したこともないその少女に「ベアトリーチェ」という仮の名前をつけ、彼女を崇拝することで淫欲と戦い性欲を浄化した。生活は一変し、規則正しくなり、それどころか僧侶の修行の趣までそなえた。

 ダンテのベアトリーチェの肖像を自作の祭壇に立てていたが、実際には公園の少女には似ていなかったので、私(シンクレール)は絵の修行を始めた。何度も失敗を繰り返しながら、偶像の製作に没頭した。しかし次第に公園の少女の再現はあきらめて、夢想された顔の製作を進めた。最終的にはデミアンと自分の特徴を備えた女性の顔が完成した。

 私(シンクレール)はその夜に不思議な夢を見た。デミアンは紋章を両手に持っており、私(シンクレール)にそれを喰えと強要した。飲み込まれた紋章の鳥(ハイタカ)は私(シンクレール)を内側から喰い拡がっていく、という夢だった。死にそうな恐怖でいっぱいになって、飛び上がり、目を覚ました。

 私(シンクレール)はその夢を絵に描き始め、数日で出来上がったその絵をデミアンに宛てて発送した。

前章で示された、デミアン的なものに対して、どう対応するのかという方法論の無さが、シンクレールを孤独にし、自己顕示欲の発露から自己破滅的な酒飲み騒ぎへと堕ちていく。
そこで、恋した見知らぬ少女の絵を描くという、創造に目覚めたことで、ある意味、救われていく(対処法の糸口を掴む)。女性なのは、ユングの「アニマ・アニムス」を思わせる。
表現するということで、精神的な危うさから脱していく、それは、臨床心理学で、箱庭療法というのがあるが、アレに近いのではないのかなぁ・・・と思った。読書にも傾倒し始める(ノヴァーリスの手紙と警句集、ニーチェ)

そして、次章「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う」へと続くのかと(未だ、読んでませんが、予測として)
すべてを知る内部のものの象徴で、
紋章の鳥(ハイタカ)の夢、自己の制限、自分で知らず設定している限界(卵の殻)を打ち破ることに繋がるのかも・・・


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