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魔の山 第七章「メインへール・ペーペルコルン(おわり)」

第七章「メインへール・ペーペルコルン(おわり)」・・・ペーペルコルンの滝での演説と毒物自殺

5月になり、ペーペルコルンは馬車に乗ってフリューエラ谷の瀑布を見に行こうと企画した。

ニ台の馬車に乗って出かけるとき、ハンスは同乗者のヴェーザルから、ショーシャ夫人を恋する敗者の愚痴を散々聞かされることになる。
「女性の愛情が受動的である」という前節の命題に、女性側から「愛してもいいレベル」が男性側に示されるということかと、僕は解釈した。「彼女の魂は私の魂など眼中にないんです」。今でいうなら、キモい、あるいはストーカー扱い。私を愛してもいい人(許容レベル)として許可し、さらに愛してくれた人(応募レベル)から、選ぶという二段階選抜。
ものを言うと口から蛇や蟇なんかが飛びだすという罰を喰らった話をし、黙らす。話をしたいというのは人間の権利だけど、時と場合によっては行使しない方が賢明と諫める。

そして、途中、セテムブリーニとナフタを拾い、滝へ到着。大きな音が聞こえる場所でペーペルコルンは昼食を取ろうと主張し譲らない。みな不満であるが、しぶしぶ従う。自分の声さえ聞こえないところで氏は突然演説を始める。何も聞こえない中で演説するということが、自死を暗示しているのかもと思う。墜ちた偶像を暗示、象徴的?。
そして、帰宅した夜、ハンスは起こされ、ペーペルコルンが毒物で自殺したことを知らされる。

ペーペルコルンは、どこで「死」を決断したのだろうか?
その為の滝へのピクニックだったのか、滝での演説中に悟ったのか?
カストルプは、事件「死」の報告を聞いて、寝室に赴いたとき、驚いていない、ある程度、予期していたかのようだった。そして、理由を類推して「感情が衰えて人生の要求に応じられなくなることを、宇宙の破滅とも、神の汚辱とも感じておられたのです。つまりこの方は自分を神の交歓の道具と考えていたのです。いかにも王者らしい妄想でした。」
ショーシャ夫人は「棄権ネ、コレハ」
そして、夫人の額にハンスは唇をつけた。(ショーシャ夫人も、これを最後に山を去る)

「カリスマ」の馬脚が剝がされる前に去ったということ? 棄権したと


ペーペルコルンの自死をどう解釈しましたか?
遺書なしなので・・・推し量るしか

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