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魔の山 第七章「メインへール・ペーペルコルン」

第七章「メインへール・ペーペルコルン」・・・ペーペルコルン紹介

第六章「その上もうひとり」で、章に新たに追加となる主要登場人物、ナフタを登場、紹介したのと同様に、第七章で追加の、ペーペルコルンを紹介する。「更にその上もうひとり」の節。
ショーシャ夫人と一緒にやって来たペーペルコルン氏。中年で引退した実業家がショーシャ夫人につきまとっているので、療養所の評判になった。ジャワでコーヒー園を経営していたオランダ人で、お調子者の成金。
人物要素、設定として、「カリスマ」と僕は看做した。通常、「カリスマ」は弁が立ったり、論理的に他に優位であったり、美貌や圧倒的耐力、技能力が秀でているものだが、ペーペルコルンには、財力と体格はあっても、壮年期であり、会話に中身がない。純粋に「カリスマ」力だけの人物に見えた。こういう人は、最初、圧倒されても馬脚を顕し、敵対勢力が出来、反撃、駆逐される運命であるが・・・(後で至ることになる自死はそれを自覚したのかと)。
卑近な例では、某兵庫県知事、パワハラ疑惑で追撃され、追放されたが、悲劇のヒーロー幻想を作り上げ、ある意味、本来は強者だったのにも拘らず「弱者のヒーロー」→「カリスマ」へと復活してしまった。公職選挙法違反の疑惑がどうなるか見物だが。その大衆心理操作・扇動の妙、SNS世論の恐ろしさを垣間見た。(ニーチェのルサンチマン)
勿論、「魔の山」ではドイツを背景にしているので、ヒトラーを想起してしまった。ヒトラーは、絶対的な演説力があったし、それを強固にする組織力ももった「カリスマ」だった。
ぺーペルコルンの言説には、論理性がないので、「カリスマ」のカリカチュアなのかと思う。
カストルプには、セテムブリーニとナフタの論争対立から、離反傾向(どちらも違うのではないかという懐疑)が生じつつあると思うので、ある意味、それを「カリスマ」超越という一要素として、見せてくれる存在なのかもと思う。


ぺーペルコルンの人物(キャラクター)をどう捉えますか?

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