魔の山 第七章「海辺の散歩」
第七章「海辺の散歩」・・・時間についての考察、再び
またしても、「時間」に対しての考察の章節。
「生」と「死」がメインテーマとすれば、「時間」と「空間」がその舞台(地盤)だからであろうか
この章節、出来事らしい出来事はなく、ショーシャ夫人が戻ってきているということが、触れられるだけで、その他、もっぱら「時間」についての考察が続く。
何を言いたいのか、理解不能な文章が続くが、「時間」には二種類あるという。客観的に一定間隔で、人間の意図とは無関係に流れる「時間」、永遠である「時間」。それとは別に、「時間」として、意識が認識する主体的な「時間」、こちらは、意識が無くなれば消失するし、長くなったり短くなったり、また「時間」そのものも、モチーフになりうる。
意識された「時間」は、つまりは意識された自分、メタ認知的である気がする。
勿論、マンは後者を思索対象とせよと言っており、これは、「哲学せよ」と言っているのかと思う。
小春日和は、冬だからこそ、実際の春には使わない。
私事ではあるが、退職して、すでに9カ月、この間の「時間」の経過、そして、消失感覚、凄まじい。
↓
今、あなたは、どんな「時間感覚」で、過ごされていますか?
「時間」とは、貴方にとって何?