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ここ最近で学んだこと

なにかもやもやしたことがあった時に
「書こう!」と思うのは言語化好き特有なのかもしれないと思う今日この頃。
でも逆に読書はそこまで得意ではないんだよねえ。
書籍の装丁にもすごく左右されてしまって
本のサイズが小さい・文字が小さい・行間狭い、やら
文の運びや仮名遣いが気に入らないetc. 読まなくなってしまう要素をつい見つけがち…。


昨日の「自分の考えや哲学」について考えていて
この数日のできごとで自分にとって何が違和感を覚えていたのかを反芻していて
その一つは「他とは違う『特別な存在』になること、
目指すことを強要されたように感じたこと」だったのかもしれない。

私の思考の柱の一つにアレクサンダー・テクニークで恩師に教えてもらった、
「人は生まれながらにして完璧である」という考え方がある。
生まれたての赤ちゃんの状態が首にもどこにも負担をかけず
理想的な姿勢で存在していて、
年を重ねていくと、外的要因などで必要ない癖や習慣をつけていく、という考えで
その当時、色々と凝り固まった考えを抱えまくり
身体にも痛みや凝りを抱えまくっていた自分にとっては
とても腑に落ちる考え方だったし
「何者にもなる必要がなく、あるがままで完璧なのだ」という考え方に救われた。
これも私にとってはなかなか手放すのは時間がかかったけれど
「何かや、誰かが理想とする自分にならねばならない」と長年思っていたから。
「緊張を手放す時は『等身大の自分』と唱えるのよ」と言ってくれた先生の言葉を
今もずっと守っている。

なので「他を出し抜いて特別にならなければならない」
「それこそが真実である」といったような
いかにも力がありそうに見える何処かから拾ってきたような考え方と姿勢と
それに私の考えを変えさせようとする言語的/非言語的なムーブメントは
到底咀嚼できないものだったし、
そもそも!
こんな思考の塊みたいな人間に、よく咀嚼させようと思ったな?!
とも思う。
誰かの特別になりたいと思うことはあるかもしれないけれど
誰よりも特別になりたいと思うことなんてない。
「自分は特別な人間なんだ」と一人で思ってるのには好きにしたらいいと思うけど
本当に凄い人ほど、なにかを他人に強要したりしないものだと思う。
なので今回は自分の哲学を他人に押し付けないことの大切さと
他人を変えようとすることの無駄さを学習した気がする。
自分から、自分の考えを変えること・培うことと
変えさせられるのとは全く違う。

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