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芸術×哲学

この数日、気持ちがグラグラ揺さぶられることが多発していて
一つ一つ対処していくしかないというのはわかっているのだけれども
やっぱりなかなかオチが着くところが見つけられずにいる。

その一つは、自分の中で1年近く燻っていたことを手放して
ある意味、ラクになってよかったと思ってる。
これは全然後ろ向きなことではなくて
手放せてスッキリ!っていう感覚すらある。
湧いてくる自分の中の色々な感情に従ったという自負もあるので
どうなろうと、これからも後悔することはないと思う。
ここに至るまでに、自分の中で何が引っかかっているのか
自分の感情に名前を付けるとすると、どういうものなのかetc.
ひたすらに色々考え続けて、至ったのが「手放そう」という気持ちだった。
自分の気持ちを言語化することは、自分の望みを出すことなのかもしれない。
自分で言語化したものも、時間が経ったり
誰かと話したりすることでまた変わっても来る。
ひたすらに言語化を繰り返して
そこでやっと「そっか!これだ!!」としっくり来るものに巡り合うと
あとはその後の流れも速くなって、変化が訪れるというのを今回体感した。
それも「こうしよう」と自分で決めた流れに乗れている感があるので
おそらく正しい選択だったんだと思う。
なので、どんどん理屈っぽい自分になっていく気もするけど
自分の気持ちや状態、感情を言語化することをやめないでおこうと思う。

ずいぶん前に友人に占星術で占ってもらったときに
私は「芸術×哲学」の人間と言われて、
この数年でやっと「ほほう、そうかあ」と思うようになってきたんだけど
私の中には自分なりに培ってきた哲学や思想があり、
でもそれは一人で楽しんだり、ブラッシュアップするためだけに存在していて
誰かに広めようとか強要しようとすることは全くないんだけど
私が承服しかねる考えを押し付けようとしたり
どこにでも転がっている知識を寄せ集めたものを話し合いの余地なく
さも自分のものかのようにぶつけてくる人に遭遇すると
一気に拒否反応が出てしまうんだと思う。
だからいいんだー、別に自分の「芸術×哲学」が自分で楽しければそれで。

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