見出し画像

そのままの自分を愛するということ

友達と話をしていて、思ったのは
中身も外見も「そのままの自分を愛そうとする」ことに許可を出せつつあるようになったのは
本当に最近のことだということ。
10代・20代の頃はSNSもそこまで発達はしていなかったけど
やっぱり周りと比べたり、メディアに左右されたりというのは強かった。
なんであんなに毎月何冊もファッション誌や美容雑誌買ってたんだろう。
それとともに劣等感も抱いていて
「こんな自分じゃダメなんだ感」はずっとあったように思う。
「まともにならないと」というどこからかわからないけれど
色々な方面からの圧に応えようとするも
そうしようそうしようとすればするほどに、なぜか悪手を選んでしまう自分…!
「なんとかしないと!」と思えば思うほど
「なんとかしないといけない状態」を呼んでいたのかなとも思う。
ある程度のサバイバル経験値と危機管理能力はついたけどね…。
今度はその「危機管理能力」が手放せなかったりもする。

とりあえず私は外面的コンプレックスが強かった。
10代20代の自分の写真はほとんどない。
それが克服できたかも?と思えるようになったのは
ヨガを始めてからなので4年ちょっと?
でもその実感を得られるようになったのは最近なのでここ1年くらいの話で
本当はもっと劇的に痩せるかと思ってたんだけど笑、
そんなに痩せることはなく、姿勢が良くなったり
筋力が付いたということが大きいのかもしれない。
そりゃあね!毎朝1時間とか1時間半とかやってりゃね!
筋肉は裏切らない!

それとともに内面の変化が追い付いてきたところはあるのかも。
体形や筋肉云々の他に「ヨガを続ける目的」が
自分の中でハラオチしたというところも大きいかもしれない。
未だにやっぱり卑屈な自分も顔を出すけれど、それはそれで仕方ない。

「そのままの自分を愛する」というと
「ダメな自分を愛する」ということなんだろうかと思ったりもするけど
果たしてそうなのかな?という気持ちもあって
それと同時に「より良くなった自分」を愛することでもあるのかもとも思う。
例えば「理屈っぽい自分だからダメなんだ」ではなくて
「そんな部分も感覚的なところも持ち合わせる自分イイ!」みたいな
要するに中庸?
プラスにもマイナスにも傾かない状態で愛するということなのかも。
そもそも、プラスもマイナスも自分の中に存在するものだし。

今、気持ち的に今までいた環境を変えたい願望が大きくなってきていて
でもそれは自分が過去に培った「危機管理能力」を手放すことでもあって
「危機管理能力」の上に、今の平和で安定した自分が存在するのかな?と思ったら
なかなか大きな決断はできないでいる。
ひとまずは、今の環境で次のためにできることをやろうか、という気持ち。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?