かつての東京もこうだった。という話。
2024.11.05 昨日は上智大学でリアル会場とオンラインでの講演会をインナちゃんと共に行った。企画してくれたのは、えり先生と、タンザニアで幼児教育の支援をする学生団体「アサンテプロジェクト」の皆さん!
オンラインには外国から参加してくれた人もいたそうで、リアル会場では学生だけでなく様々な方々が来てくださり、和気あいあいと語れる場になった。企画してくださった方々に心から感謝。ありがとうございました。
私はケニアの貧困地区キベラスラムで貧困の中で生きる人々との長年の関わりを、そしてインナちゃんはニジェールの紛争で暮らしを奪われた人々や家族を失った子どもたちが安全な近隣国ガーナまで逃れてきて、そこで物乞いをして生きている話をしてくれた。インナちゃんはそんな子どもたちの身の安全を確保する「インナハウス」を作り、子どもたちの教育支援に尽力している。物乞いをしていたときの子どもの表情と、学校に行きはじめてからの表情がまったく違う、そんな様子を写真を見せながら語ってくれた。
リアル会場には、私にとって大先輩であり、長くアフリカに関わってこられたムゼー(長老)川田さんが来てくださっていて、それが私はとても嬉しかった。
そして、講演会が終わってからあとで川田ムゼーが私に話してくれたことが、とても印象に残り、頭から離れないので、それをシェアしたい。この話をもっと聞きたいと思った。
そもそも、川田ムゼーはつい最近もケニアに来てくれて、キベラスラムのスタディツアーにもスタッフの方と共に参加してくださって、キベラスラムを一緒に歩いた。その際に、いつも私が案内するスラムの線路の上で、ゴミの中から回収された様々な廃材や、壊れた電化製品などが延々と並び売られている様子や、廃材を何でも分解しては組み立てなおして修理をする路上の電気修理工などを見ながら、「秋葉原もかつてはこうだった」と話してくれた。
かつて戦争で東京も焼け野原になり、あちこちに闇市が出来て、人々が必死で生き抜いていた頃、秋葉原はこんなふうに、ガラクタを並べて売り、壊れた電化製品を直し、組み立てる路上の電気修理工が軒を連ねていたのだと言った。
昨日の講演会では、終わったときに川田ムゼーは私に話しかけてくれて、かつての日本、そして東京のことを話してくれた。
戦後、東京は焼け野原になり、とてもたくさんの戦災孤児があふれ、あちこちをウロウロしていた。
インナちゃんの話に出てくるのと同じような子どもたちの姿だった。
その混乱は、4~5年ほど続いた。
自分が小学1年生だった頃(戦後5年くらいたったころ)、自分の通う小学校の校庭に、アメリカからの支援物資が届いた。
校庭の真ん中に、大量の古着が山積みになって置かれて、その中から、1人1枚づつもらっていいと言われて、みんなもらった。
そして、栄養失調の子どもたちのために、脱脂粉乳がアメリカから支給された。
大きな鍋に脱脂粉乳が入れられて、それをもらったとき、こんなに美味しいものがこの世にあったのかと嬉しかった。
あの頃の戦災孤児は、希望がなかった。
それで、救いがない子どもたちはヤクザに取り込まれて行った。
あの頃の暴力団は、多くがそのような救いがない子どもたちの末路だった。
いまインナちゃんや私がやっていることは良いことだし、講演で話していたようにその子どもたちの団結を助けるのも大事だけど、懸念するのは、そのような子どもたちが団結することで、それが一歩間違ったら世の中の悪いことに取り込まれていったり、犯罪の集団になったりすることだ。
それがかつての東京では起きていたこと。
そうならないようにしてほしい。
このようなことを話してくれた。
川田ムゼー、ありがとうございました。
どうかこれからも元気で長生きしてください。(毎日1万歩以上歩いているそうで、この日も新宿から歩いてきてくれました!)
長生きして、若者たちにかつての日本がどうだったかという話を聞かせてください。もう私は若者じゃないけど、私にも必要な話だ。
来日ツアー中の今、私は毎日毎日、日本各地で様々な人たちに出会い、ケニアで私が応援するキベラスラムの人々の話をしているけれど、つくづく思うのは、この世界の現状を作っているのは世界で生きる私たち全員が当事者ということだ。
だから、目をそらさずにしっかりと、この世界でいま起きていることを見つめたい。当事者として。
そして、この世界の未来を担うのも、私たちが当事者だ。
私は、若い頃に様々な想いを抱えながら世界を旅して、そして出会ったキベラスラムの貧困の中で生きる人々が、たとえどんなにどん底な状況でも決して生きることを諦めず、様々な努力をする姿に強烈なインパクトを受け、仲間となり共に苦労を分かち合いたいと思ったし、特に、いたいけな子どもたち(常に腹をすかせている子どもたち!)にご飯を食べさせてあげたいと心底思い、その手助けをはじめたけれど、そうしたらそのお鍋の周りに集まってくる子どもたちのために勉強を教えたいというスラムの若者たちもやってきて、そうやってだんだんと、マゴソスクールは大きくなっていった。
その話をとにかく日本の人々の伝えたいと、日本に来てお話をしていくようになり、そうすると、日本全国各地で出会ってくださった多くの人々が心を寄せてくださり、様々な形で助けていただいてきた。それは奇跡のようなことだったと、心から感謝している。
しかしここから先は、その給食を食べて成長した子どもたちが、スラムのコミュニティを担う大人となり、彼ら自身がどのような生き方をしていくのかということがとても重要だと思っている。
彼ら自身が自分たちが育ったスラム街をどうしたいと思っているのか、そこで今も続く貧困を、病苦を、親を亡くした子どもたちの悲しみや苦しみを、貧困の連鎖を、コミュニティの在り方を、どうしたいと思っているのか。
彼らが望む社会変革がなんなのか。
それをこれまでもずっと彼らに投げかけ、語り合い、共に模索してきたけれども、それが最も重要なことだといままた強く感じている。
私はこれからも、腹をすかせた子どもたちや、日々の食べ物もないほど困窮した貧困者たちにひたすら給食や食糧支援を続けていきたいと願っているけれども、これをこれまで25年間、自分の人生を全力で費やしてひたすら続けてきたけれども、しかしなぜ貧困は終わらないのか。
なぜ格差は終わらないばかりか、拡大し続けるのか。
目の前にいる病に苦しむ人に助けの手を差し伸べたい。
食べ物がないほど困窮した人々に救いとなる食糧を届け続けたい。
だけどこの連鎖を終わらせたい。
ここキベラスラムだけの話ではない。世界の中の格差、人類の中のすべての矛盾や不公平を、この世界を作る当事者として、自分のこととして受け止めたい。そして行動していこう。
あらためて、様々な気合いが自分自身に入る時間を皆さんからいただいている。心から感謝です。
今日11/6(水)は東京都国立市で、私とインナちゃんが合同で行う今年最後の講演会。国立でDV被害にあった女性たちをひたすら助け続けてきた活動の大先輩である遠藤良子さんが進行してくださるシンポジウムです。
皆様ぜひおいでください。
そして明日からは私は今年の秋の来日のラストスパート2週間!
1人でじっくり話をさせていただく講演会が、名古屋、鳥取、兵庫県、静岡県と、2週間続きます。
そして最後は大西マサヤくんと再合流してポレポレキャラバン・アフリカンライブで楽しい時間を過ごしましょう。
最後まで走り続けます。皆様どうぞよろしくお願いします。
★早川千晶の来日日程2024秋
https://note.com/chiaki_nairobi/n/nc66c2ab19a69
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