2024/03/28 『アート戦略/コンテンポラリーアート虎の巻』の読了
昨年の7月頃に買ってから少しずつ読んでいて、2/3ほど読んだところで保留した本だったんだけど、2月中旬から再開して最近読み終えた。
実力のあるアートディレクターの方が書いているだけあって、理論も用語も専門的で内容は一筋縄ではなかったのだけど、その分得るものも多い本だったと自信を持って言える。
やはり、現代芸術のシーンからコンテンポラリーダンスが学ぶべきものは多いように感じる。
日本におけるコンテンポラリーダンスの沿革は、海外諸国・特にヨーロッパ・アメリカに比べて特殊である。独自の路線で発展をしていったは良いものの、先の進歩が見えず痩せ細っていっているのが現状であるように思われる。
それは、紛れもなくコンテンポラリーダンスが学問的・文化史的な裏支えの無いままに育ってしまったからだ。本来、現代芸術というものはメインストリームとカウンターがぶつかり合うことによって発展を遂げていくものである。
しかし、何が「メインストリーム」で何が「カウンター」であるか、の共通意識を持つためには、学問化と文化史による体系化が欠かせないのだ。近代西洋演劇に対して、平田オリザが「現代口語演劇」という理論を打ち立て、新たな演劇の流行を作り上げたように。
日本のコンテンポラリーダンスには、それがない。学問的に体系化されていないから、プレイヤーはただただ自由気ままに表現している。それを批評する批評家もいない(そういったカオティックな状況をこそ「日本の特色だ」と言って是とする者さえいる)。だから文化として弱いし、当事者以外は誰も興味を示さない。閉鎖的な界隈が出来上がる。
現代芸術のルールや文脈、日本と海外のアートシーンの違いを学んで度々実感するのは、アート後進国である日本においてもコンテンポラリーダンスは最底辺に近いレベルで遅れている表現分野であるということだ。
ただ、翻ってみれば最底辺に近い発展度だからこそ開拓の甲斐がある分野でもあるということだ。日本のコンテンポラリーダンスにアカデミズムが必要であることを周知させたい、というのは私が抱えている野望を叶えるための前段に位置する目標である。
プレイヤーとして活躍しながら、舞踊学校を設立したい。
そこでは舞踊の専門教育だけでなく、アートマネジメントをはじめとした芸術社会教育、学生による公演実施や裏方実務体験などの創造現場教育、リベラルアーツをはじめとする基礎教養教育、財務・経理やマーケティングを学ぶ経営領域教育など、アーティストとして自立するために必要な諸領域を幅広く設置する。
そういった実践的な教育機関を作りたい。
現代芸術は、文化芸術の最先端領域である。
実利で考えてみても、観光業の重要性が注目されている昨今、ほかの国にはない個性を持つ独自の現代芸術を作り上げることは、長い目で見て非常に利益が大きいのだ。
実際、アジアの中進国をはじめとして、新たな文化芸術の創造を目指してコンテンポラリーダンスに国家資金を投入している国は珍しくない。
ただの遊びではなく、そういった視野の広い気概を持ってコンテンポラリーダンスに臨む人々を増やしたい、というのが、若輩ながら学問の勉強と併せて日本のコンテンポラリーダンス界に足を踏み入れた者の願いである。