あなたの仏像はどこから?【後編】│ひとりアドベントカレンダー#17
あなたの仏像はどこから? の問いから始めたこのシリーズも、今回で一応完結である。前編・中編は以下よりどうぞ。
【中編】で触れた、小学5年生のときの家族旅行は2006年のことだった。今回は時が流れること13年、2019年の4月2日のことである。
難波に泊まったはずなのに
2019年3月31日、暦の上では修士課程1年の最後の日、私は大阪・難波にいた。修士論文で取り上げたい史料が、難波のとある企業資料室にあるとの情報をキャッチし、一路東京から馳せ参じたのである。
難波滞在中にお世話になったゲストハウスが大変良かったので貼っておく。
難波到着翌日の4月1日(制度上この日から修士課程2年)、早々に企業資料室での史料撮影&聞き込みを終えて、暇になってしまった。
この日はなぜか夕方から気温が急に下がって雹が降り出し、ゲストハウスにほうほうのていで戻った私は、ベッドで毛布にくるまりながら、残り丸一日残された滞在期間をどう過ごすか考えた。詩歌専門書店「葉ね文庫」に行くのは確定しているが、オープンするのは夕方だ。昼間まるまる時間が空いてしまうがどうしようか?
せっかくだから大阪城公園を中学の修学旅行ぶりに再訪するか、木下直之が『動物園巡礼』で紹介していた奇妙な動物園・天王寺動物園を見物するか。それとも聖徳太子ゆかりの四天王寺にするか?
四天王寺の名前が思い浮かんだとき、ふと妙案が浮かんだ。どうせなら思い切って、寺院めあてで奈良に行ってしまえばいいのではないか?
ゲストハウスに来るときは大阪市営地下鉄の難波駅を使ったが、近鉄の大阪難波駅もそう遠くない。大阪難波から近鉄奈良まで、乗り換えなしで1時間弱。いい感じだ。13年ぶりの奈良再訪が決まった。
いろいろと変わっていた興福寺
この日は薄曇りで、傘をさすべきかささざるべきかそれが問題な程度の微妙な雨が降っていた。平日とはいうもののそこそこ観光客らしき人出はあった。
近鉄奈良駅に降り立って、おなじみ行基像とご対面。リニア新幹線誘致の看板の圧がすごい。
昼間だけで歩いて回るなら、近鉄奈良駅周辺にしぼったほうがよかろうと考え、まずは興福寺を再訪することにした。
境内では、カラフルなレインコートを着た観光客たちと、ランダムに動き回る鹿たちの攻防戦が静かに繰り広げられていた。
▲だんだん晴れてきた
相変わらず広々としていて気持ちがいい境内は何も変わっていない──かのように思えたが、踏み入ってびっくり、伽藍のようすがちゃんと変わっていた。鮮やかに塗られた、見慣れないお堂がある。復元された東金堂だった。
それもそのはず、上の記事によれば、私が初めて興福寺を訪れた2002年時点では既に東金堂は解体されていたことになる。
復元された東金堂の、まだ激しく風雨にさらされきっていない姿は、天平時代の奈良から何かの拍子にこんにちの奈良に不時着してしまったようで、奇妙でもあり美しくもあった。
▲中金堂と桜
それから、興福寺の国宝館。これもリニューアルされて、モノトーンを内装の基調色とした、きりっとシャープなミュージアムに様変わりしていたのである(2017年改築)。これにも驚いた。「見仏記」シリーズで“加藤登紀子”と命名されていた山田寺由来の仏頭(ぶっとう)や、阿修羅像をはじめとする八部衆、十大弟子の見せ方が圧倒的にカッコよくなっている。
脱活乾漆の技法で作られた像(八部衆や十大弟子)の、軽やかだけど弾力を感じさせる表面の質感、やっぱ好きだなと改めて思った。
国宝館のミュージアムショップがまたしれっと洒落っ気のきいたグッズを売っている。私は僧兵モチーフのマスキングテープを買った。なんで僧兵をマスキングテープにしたのかは全然わからないが、強訴につかうアイテムを装飾するにはもってこいだ。
▲とてもかわいい僧兵マスキングテープ
人混み×鹿混み、そして足場と戒壇堂
興福寺を離れて東大寺大仏殿に向かう道すがら、当然大勢の鹿たちとすれ違うのだが、予想外の事態になってきた。だんだんと鹿さんたちのにおいに疲れてきたのである。わかっちゃいるけどめちゃくちゃケモノ臭がする!
その疲れは、東大寺南大門を少し過ぎたあたりで早くもピークに達した。さらに、興福寺とは比べ物にならないくらい人が多い。人混みにあてられたときの疲れもあいまって、大仏殿までたどりつくのは無理という結論に至った。そういうわけで、鏡池の手前で西に折れ、いったん東大寺の境内を出て住宅地へとふらふらと移動した。大仏さん、また今度な。
▲あきらめた地点から撮影した中門
丁字路のつきあたりまで来て、やっと少し人心地がついた。スマホで地図をひらくと、右斜め前にあるのがなんと入江泰吉旧居である。奈良の寺院や仏像の写真といえばこの人だ。
そして、入江泰吉旧居を左にみながら直進すれば東大寺戒壇堂とある。もうすでに遠くに見えている。13年ぶりの四天王像たち! 行くしかない。
ひっそりした住宅地を進んでいくと、後ろから男子中学生とおぼしき4人組が戒壇堂の屋根を指さしながら「えっあれ東大寺? 大仏いんの? ちっちゃくね? ちっちゃくね?」と大騒ぎしながら接近してきていた。おいおい勘弁してくれと思っていたら、北東方向に大仏殿の屋根を見つけたらしく「あっちじゃね? デカくね?」と大騒ぎしながら大仏殿のほうへ消えていった。嵐は去った。
戒壇堂に着いてみると、折しも門と前庭の修復工事中だった。
▲ごつい足場が組まれている
堂内は通常通り拝観していいとのことだったので、薄暗くひんやりとした堂内に、靴を脱いで上がる。13年ぶりの再会はやはり貸し切り状態だった。
13年前と比べれば背も伸びているし、美術史の知識もついたから、像をみるときの解像度は格段に上がっている。とはいうものの、子どもの頃から私の心をとらえてやまなかった四天王像が、今まさに変わらない姿で目の前にいるということそのものを、深くかみしめるほうが先だった。
壇のまわりをやはりだいたい5周くらいして、ほとぼりが冷めるまで眺めて、すっきりとした気分で堂内をあとにした。
▲門の屋根にいたおちゃめなお獅子
▲戒壇堂の門前から石段を見下ろしたところ。奈良の春っぽい写真がとれた
もちいどの通り「朱鳥」再訪
ところで、近鉄奈良駅から興福寺に向かう前に、寺院以外でぜひとも再訪しておきたいと思っていた店があった。興福寺にほど近いアーケード商店街・もちいどの通りに店舗を構える手ぬぐい専門店「朱鳥(あけみとり)」である。
13年前の家族旅行で、どういういきさつかはわからないが両親が旅程にしっかり組み込んでいたお店だった。そこで私も一枚手ぬぐいを買っていいことになったのだが、私はさんざん迷った挙句、なぜか渋い藤色の矢絣模様の手ぬぐいに決め、両親を困惑させた。
矢絣も悪くなかったのだが、どうせなら奈良名物を染め抜いたオリジナルの手ぬぐいが欲しかったかもしれないと、13年の間、折に触れてなんとなく思い返すことがあった。それに、「あのお店まだあったよ!」と両親に報告するネタもほしい。いろいろと不純な動機で朱鳥へと向かってみると、
あった。シックな木の風合いもそのままだ。
店主の女性に声をかけ、13年ぶりに再訪したことを伝えてみると、東京からわざわざ訪れたことも含めて大層喜んでくれた。
13年前は矢絣や青海波、小紋などのスタンダードな柄も手ぬぐいも多かった気がするんですが……?と尋ねてみると、「いまは全部オリジナル柄の手ぬぐいを販売してます。みんな何かしら奈良らしいモチーフを使っているんですよ」とのこと。たしかに、興福寺五重塔や、鹿の絵柄など、奈良名物を染め抜いた手ぬぐいがたくさんディスプレイされている。
手ぬぐいだけでなくスマホケースも販売していた。13年も経てば店の方針も、商売の趨勢もそりゃ変わるというものだ。
「飛火野(とびひの)」という名前の手ぬぐいを家族のぶんだけ買って、朱鳥をあとにした。ようやく心残りを回収できた気がした。
変わりゆくことと変わらないこと
興福寺、東大寺、朱鳥と再訪してみて、変わらないなと思うところと、変わっていくのだなと思ったところは同じくらいあった。伽藍を訪れる参拝者や、お店に手ぬぐいを買い求める客に提供したい価値はそうそう簡単に覆るものではないが、それをいかに続けていくか(あるいは、そもそも続けるか続けないか)という方針こそが、変えないものと変えていくもののバランスをコントロールするのかもしれない。
往時の建造物の姿そのままに残したいと願っても、手つかずで吹き晒しにしておけば、お堂も塔も朽ちる。ひとたび人間が作って残したいと望んだものは、その後の時代の人間がたえず出入りして内外の空気の循環をつくり、使って動かし、苔や黴を取り除き、壁を塗りなおし、修繕を重ねてゆくことでしか継承できないのだろう。商売も似たようなものだと思う。
変わらなさを喜ぶことと、変わりゆくさまを受容する態度は、たぶん両立する。
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