鱗(2018 On-beat ver.)

瞳の表面で強い風を受け止める
透きとおるまで磨かれた大気に歩みを浸しながら
石畳に刻みつけるようにかかとをわざと高く打ち鳴らす
今日も身体は鼻先と耳の縁から冷えていくらしい

輪を描いてめぐるものは等しく時を刻み 
青空に高くそびえる時計台は
真昼間の学舎の円居の真中 
定まらぬ足取りは戸惑いの最中
人の名前は呼ぶほどに遠ざかり 
表情は思い出すほどに薄らぐ
またすぐにめぐってくるはずの
菜の花の季節にいた人のこと

その人の街では冬でもしっとりと湿った風が吹くのだと
隣の席で窓の外を眺める横顔のまま教えてくれた
電車のゆれる音に合わせて窓枠を優しく指のはらで叩く
その人のことを

かつて恋人にしたかった人
と呼んだ

止まった電車の窓からは
春の光に明るく泡立つ小川が見えて
その土手を菜の花が黄色く濁って殖えて
頭の中まで覆い尽くす

かつて恋人にしたかった人の
首すじをつつむ透明な鱗を
くちびるでいちまいいちまい、はがしてゆく

乾いた風 
よく曲げるところからひび割れる指 
続く生活
あなたのことを忘れてしまった
と手紙を書いた 
返事は来なかった

喉をしめつけることもなければ
心を鋭く突きさすでもない
ただ胸を通り過ぎるだけのかなしみがほしい

街灯がともりはじめる瞬間を最後に見たのはいつだろう
とうに歩み去った季節からも
これから訪れるはずの季節からも
取り残されている
食器のふれあう軽やかな音と
煮炊きのにおいのする小さな通りへと分け入っていく
ひとりぶんの靴音を道に残して

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