ヘイズバラの海岸にて
飛行機雲が彗星のように白い尾を引きながら、
2月の澄みきった空を行き交う。
その下で海は見渡す限り
深い藍色を広げている。
スニーカーの足が少し沈みこむほどの
ふかふかな芝を頂く崖の上に立っている。
1年ごとに2mずつ
この海岸は削られていく。
白とグレーのまだらの石を
美しく組み上げた600年前の教会も
かつてよりも海にずっと近くなった。
その足許はすでにもろく不確かだ。
崖の下の波打ち際からつい最近
80万年前の人類の足跡が見つかったと、
考古学者のアンドリューが強い風に
目を細めながら指さして教えてくれる。
いまのわたしたちとさほど変わらない足の大きさ。
子供の足跡があちこちとりとめもなく
楽しげに曲がりくねるのも今と変わらない。
掘り出されるとはつゆほども知らずに。
もしかすると、生きた証なんて、絵筆を強く握りしめて
カンヴァスに向かうように残そうとして残すものではなくて、
はるか遠い未来に知らない誰かが見つけてくれて初めて
生きた証になるのかもしれない。
飛行機雲が消えた青空に背を向けて、
いずれ波に持ち去られるわたしの足許を置いていく。
立ち去る側でいる限りはいつだってそうだけれど、
削られゆく足許を見つめるしかない時もきっとやってくる。
組み上げたものが崩れ去るのを恐れながら
強いて足跡を残そうとするでもなく、
それでいて、誰かがいつか見つけてくれたらと微笑んでもみる
そんなとりとめもない想像をもう少し、
続けてもいいだろうか。
(2017年2月)
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